教会をたずねて
カトリック米川教会(仙台教区)
聖堂正面 |
祭壇 |
祭壇の最後の晩餐 |
正面十字架 |
聖櫃(ひつ) |
朗読台 |
聖堂内 聖母像 |
聖堂 側面の窓 |
内陣 |
十字架の道行き |
聖水入れ |
オルガン |
告解場 |
聖堂後方 |
キリシタン遺品 |
歴史
宮城県の米川は、“東北の長崎”と呼ばれ、多くのキリシタンたちが、ここで殉教しました。
1954(昭和29)年、米川村(当時)の村誌編集にあたって、キリシタン迫害の遺跡調査を行い、そこでいくつもの新史実がわかりました。その話を聞いた当時の仙台司教・小林有方司教が、この地に赴いたところ、600人以上の村民から、「カトリック研究会」を開いて欲しいとの要望があり、その秋から週1回の講義が行われ、多くの人が参加しました。同時に、民家を借りて仮聖堂としました。
翌年には、聖堂兼幼稚園の建物が竣工することになり、7月第1回の洗礼式が行われ、175名の人たちが洗礼の恵みを受けました。その年齢は80歳から2歳の幼児までで、小、中学生が圧倒的に多かったそうです。式は、中学校の講堂を借りて行われたといいます。
同じ年の12月に行われた第2回の洗礼式では59名、第3回洗礼式では77名が受洗しました。
1956(昭和31)年3月、修道院兼教会、保育園の落成祝別式が行われ、4月には、仙台の善き牧者修道女会により、米川聖マリア愛児園が開園しました。
300余人のキリシタンが殉教した大篭には、1952(昭和27)年に教会が建てられていましたが、1965(昭和40)年、この大篭教会は、米川教会の巡回教会となりました。
この年の12月、享保年間に鉱山で働く多くの人が殉教し、お経と一緒に3カ所に分けられて埋められた「三経塚」が、町文化財に指定されました。
翌1966(昭和41)年10月に、「後藤寿庵の碑」が町文化財に指定されました。
1973(昭和48)年、「大柄沢切支丹洞窟」が町文化財に指定されました。
1975(昭和50)年、新しくなった聖マリア保育園の園舎の落成式が行われました。
1979(昭和54)年9月、大篭の殉教地で「大篭の聖母像」の祝別序幕式が行われました。
1980(昭和55)年8月には、米川教会創立25周年記念ミサと祝賀会が盛大に行われ、記念誌「身も魂も」が発行されました。
1982(昭和57)年、第1回米川殉教祭「キリシタン祭り」が行われました。以後、毎年殉教地「三経塚」で開催され、第6回からは町の「村おこし」の一環として「東和町キリシタンの里祭り」と改称され、「キリシタンの里祭り」実行委員会の主催となりました。
2001(平成13)年、米川、大篭「キリシタン友の会」が発足され、友の会会誌創刊号が発行されました。
2003(平成15)年、米川隠れキリシタン殉教碑「林界の星」が完成しました。
2005(平成17)年6月、献堂50周年記念の山上ミサが行われ、記念誌「世に光りを」が発行されました。
東北のキリシタンの里にある米川教会は、キリシタンの信仰と遺跡とともに今も生き続けています。