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9条アジア宗教者会議(1)

2007/12/13

日本国憲法第9条の改憲が求められ、その力は年々強くなっています。しかし9条には、普遍的な平和への思いが込められており、日本だけでなく、世界が大切な憲法として認識し始めているこのごろです。憲法9条は、日本が苦しみを与えたアジアの人々に対しての反省と謝罪の思いが込められたものです。「もう戦争はしません」という不戦の誓いが表明されたものです。しかし、日本政府は、自衛隊の軍備拡張や海外派兵など、都合のよい解釈をすることによって、9条の土台を揺るがしています。

非暴力と平和を求める働きを推進するために、9条を活かし守るための具体的化をはかるために、カトリック正義と平和協議会、日本福音同盟、アーユス(仏教国際協力ネットワーク)、日本山妙法寺、日本キリスト教協議会、キリスト者平和ネット、平和をつくる宗教者ネット、宗教者9条の和などの団体が実行委員会を組織し、「9条アジア宗教者会議」の開催を、アジア、そして世界の国々に呼びかけました。

11月29日~12月1日、東京・神田の在日韓国YMCAの“YMCAアジア青少年センター”を会場にして、「9条アジア宗教者会議」が開かれました。マレーシア、インドネシア、インド、シンガポール、韓国、台湾、アメリカ、カナダ、スイス、ドイツ、そして日本から、11 チーム、230人が集まりました。

会議は、基調講演、パネル討論など公開されたものと、正式参加者による非公開のプログラムとがありました。29日と30日に参加しましたので、その濃密な内容を、3回にわけてご紹介します。

11月29日(木)午前

29日の午前中は、共同議長である白柳誠一枢機卿と村中祐生師(天台宗慈照院住職、元大正大学学長)からのあいさつに続いて、2つの基調講演がありました。


白柳誠一枢機卿


村中祐生住職

基調講演をした林東源氏は、1998年から2003年まで、金大中大統領の下で、統一府長官として、南北統一のため、また東北アジアの平和を求めて尽力されました。

基調講演

林東源(イム・ドンウォン)氏……世宗基金代表、元韓国統一省長官

6年間という、まるで浪費しているような長い時間がかかったが、南北統一への思いに至ったことは喜ばしいことである。合意事項が順調に進めば、2008年は記念碑的な年となるだろう。わたしたちはこれに対して積極的に応援しなければならない。東北アジアのために尽くそう。北朝鮮との国交に積極的に参加し、拉致問題を解決しよう。

朝鮮戦争の3年間は、多くの傷跡を残した。停戦状態という不安定な状態で、朝鮮半島では冷戦が続いているということになる。統一はおろか、平和も築けていない。

1990年末、金大中、クリントン、小渕による3国会談が持たれた。 2000年6月、南北首脳会談が実現し、その6年後信頼が築かれて、南北間が変化している。朝鮮半島は経済共同体を実現し、積極的な平和にしなければならない。南北連合を作る必要がある。

世界第2位の経済大国である日本が9条を破棄し、再軍備国家になろうとしている。米国が中国と対立するようになれば、東北アジアの平和はないだろう。東北アジアの平和と安保のために、相互信頼と協力体制が必要だ。

日本の平和憲法9条と関係して、言いたい。日本は、韓国国民に大きな犠牲を強いた。しかし、戦後の日本は変わった。平和憲法9条を掲げている国として信頼されている。過去の過ちを繰り返さないとして、アジアの国から信頼されてきた。しかし、過去の過ちをよく反省していないのではないかと危惧している人もいる。戦争をしない国、戦争に加担したり協力したりしない国、平和構築のために努力する国として期待している。

イエス・キリストは、平和を実現する人は幸いだと言った。ピースメーカーである日本の人々に、さらなる努力を求める。9条を守ろうとする多くの人々に敬意を表する。

基調講演

土井たか子氏……元衆議院議長、憲法学者

「憲法行脚の会」を作った。民衆の草の根から憲法9条を考えている。

17歳まで、大日本帝国憲法の下で育った。その後、日本国憲法の下に生きてきた。世の中には、あわよくば大日本帝国憲法に戻したいという人々がいる。日本国憲法は、すでに旧憲法の歴史を超えている。日本国憲法の歴史と伝統を考えて欲しい。

大日本帝国憲法の主権者は、神の子孫である天皇だった。国民は臣民で、天皇の政治に従う・協力する立場だった。特に女性は最後まで選挙権も被選挙権もなかった。男性は軍にハガキ一枚で招集され、次々と周辺諸国の侵略戦争に駆り立てられていった。日本人だけで300万人以上、アジアの人々では数千万人を殺戮することとなった。この事態の猛反省から、日本国憲法は歩き始めている。1946年公布、1947年施行。「もう戦争はしたくない!」という決意と希望に満ちた憲法だった。生活は貧しく厳しくても、もう戦争はしたくたくないということへの希望があった。女性の選挙権、被選挙権を持つことができて喜びに満ちていた。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

9条はあらゆる戦争に対して、これを放棄している。きわめて厳しい放棄を宣言している。しかし、自衛隊があるし、米軍も駐留している。25万人の自衛隊員は、強力な武装をしているじゃないかという疑問が出てくる。それに対して政府はこう答える。「侵略に対する自衛のために最低限度の軍備保持であれば、憲法に抵触しない」と。

戦前、日本は軍事植民地帝国だった。戦後は、平和と豊かさを志向し、軍事を小さくし、他国に攻撃をかけることはしていない。60年の間、自衛隊は一人も人を殺していない。

イラク派遣のとき、小泉元首相はこう答えた。「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」と。とんでもない話だ。テロ特措法、イラク特措法と言っても、憲法9条では認められない。9条を変えようとする人は、現実が憲法にあわないので変えたいとしている。小泉元首相は「戦争をしに行くのではありませんから」と言った。では、なぜ武装するのか。

1945年3月、神戸で空襲があった。目の前で、赤ちゃんを背負った母親の死を見た。真っ先に犠牲になるのは、子ども、女性、市民である。この体験からわたしは、「平和のために働くのは政治ではないか」と思い、立候補した。

西南戦争以来、日本は国内で戦争をしてこなかった。戦争から帰ってきた兵士たちは、自分たちが何をしてきたか考える人はいなかった。日本は冷戦の中で、日本周辺の被害国と切り離されてしまった。1995年、村山内閣のとき、加害者責任が問いただされるようになった。ここから、日本の右翼化が始まった。北朝鮮からのミサイルや不審船が現れ、日本は北朝鮮に脅威を感じた。その後明らかになったのが、拉致事件である。拉致そのものは、人権を踏みにじったものだ。この事件は、冷戦対策の中で起きた。このとき、日本はきちんと対応することができなかった。2008年は、朝鮮半島情勢に、画期的な年となるだろう。

9条を宣伝し、これを大切にしなければいけない。9条は国内法だが、国際理念を言っているので、国際的に広めたい。

 



記者会見

記者会見で説明する松浦司教

その後、質疑応答が行われました。日米関係についての質問に対して土井さんは、「互いにした約束を、各々の国に帰って考えたとき、国内法だから難しいことが出てくる。そこで国内法に照らし合わせてできないことは“NO”と言うことが必要だ。「憲法に照らして、この約束は間違っていた。“NO”」と。日本はまだ、日米安保条約を結んでいる。これは軍事同盟だ。友好平和条約を結び、非軍備の大切さを主張してつきあっていきたいと思っている」と答えられました。

憲法学者でもある土井たか子氏は、あいかわらず力強いものを感じました。お話を聞きながら、いろいろな面から憲法を語っていただけそうな感じでした。憲法学者として、たくさんのことを聞かせていただく機会があればと思いました。

漠然とした「平和」といういテーマではなく、「9条」という核となるものを掲げた会議だということ、アジアという限定している地域が中心になっていること、さらに、それらの国々はかつて日本が辛いことを強いてきたとういうことから、とても濃縮した内容と雰囲気を感じました。海外から、日々日本をどう見ているのか、戦争を知っている世代や、その話を聞いた次の世代の人々からの直接のお話は、胸を打つものがありました。

9条を日本の中でだけ問うのではなく、9条が波紋を投げかけるであろうことを日本の外からの目で見ることは、とても必要だと感じました。この会議が、さらに会を重ね、もっと多くの人々、特に、日本の人々に関心を持ってもらえるようになればと思います。

文頭の飾り次回は、29日の午後に行われたパネル討論「非暴力と平和の実践」の様子をお知らせします。

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