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江戸の殉教者をたたえる感謝の祭儀

2008/11/12

原主水の像
静岡教会にあるヨハネ原主水の像

11月16日(日)の午後、カトリック東京教区の港・品川宣教協力体(麻布、高輪、目黒、六本木教会)は、24日に長崎で行われる列福式を前にして「江戸の殉教者をたたえる感謝の祭儀」を行いました。会場は、今回列福される188人の中の一人、ヨハネ原主水ら50人が処刑された札の辻に近い三田ツインビル西館の会議室です。

三田ツインビル西館 公開空地
JR田町駅前の歩道橋から品川方面に見える
高層の三田ツインビル西館
三田ツインビル西館奥の公開空地
背後の丘に十字架が立った

三田ツインビルの前を走る第一京浜は、かつての東海道でした。東海道をはさんで向こう側は、すぐ海が広がっていました。1623年12月14日(元和9年10月13日)、伝馬町の牢屋から日本橋、銀座、新橋、田町と歩いてきた50人は、札の辻ちかくの丘の上に並べられた50本の十字架に縛りつけられました。徳川家光は街道を行き交う多くの人の目にさらすため、処刑地として、京都に通じる東海道の江戸の入り口にあたる丘の上を選んだのです。

現在その地は、三田ツインビル西館の背後にある丘のあたりで、ビルの敷地に整備された公開緑地に、東京都の旧跡として「元和キリシタン遺跡」の碑が建てられています。

公開空地 元和キリシタン遺跡の碑
「元和キリシタン遺跡の碑」に向かう石段 元和キリシタン遺跡の碑

ミサは、東京教区大司教の岡田司教の主司式、港・品川宣教協力体司祭団の共同司式で行われ、原主水が生まれた臼井城に近い習志野教会主任司祭の江部神父が説教をしてくださいました。

会場の様子

 

司祭団 江部神父
   説教をする江部神父

ミサの中で読まれた福音は、「心の貧しい人々は、幸いである」ではじまるマタイ福音書5章1~11節でした。

江部神父の説教より

「幸いだ」ということばを味わいながら殉教者たちのこと、特に原主水のことを考えたい。「生き様」ということばがある。同じような意味で「死に様」ということばがある。その人の生き方を表すことばである。殉教者たちには、その死に様も含めて「深い信仰」「強い精神」をあてはめる。それを自分にあてはめたとき、果たして同じように自分にできるのかと思う。

殉教は最後のそのときに与えられたもの、拷問を受け、十字架刑に処せられるそのときに神から与えられるもの、まさに恵みである。殉教しようと思って生きている者はいない。

原主水の生き様はどうだろうか。『日本キリシタン宗門史』に原主水が処刑を前にして祈ったことばが記されている。友人に支えられた明るい部分と、裏切りにあい密告され、指を切られ、足の腱を切られ、額に焼き印を押されるという闇の世界があった。

わたしたちが学ぶことは何だろう。殉教者たちは自分の知っていることをはっきりと他者に伝えていた。このよい知らせを、もう少し多くの人に知らせることができないだろうか、と。殉教者たちは、自分たちを迫害する人のために祈っただろう。

わたしたち一人ひとりが人間愛をもって神に応えていく……ということを心にかけたい。共同体として、神への応えを探していく、共同体として成長していくことが必要だ。わたしたちは、周囲の人に示していく使命がある。わたしたちの信仰生活の歩みを確かめながら……。

 

今回の集いにあわせて、殉教者たちの列福式を記念した歌が募集されました。7名から13作品が応募されましたが、その中から「いのちをささげた殉教者」を作詞した聖ドミニコ宣教修道女会のシスター藤本が表彰されました。原主水の信仰と殉教の様子を描いたシスター藤本の詞に新垣壬敏氏が曲をつけ、閉祭の歌として歌われました。

Sr.藤本
あいさつをするSr.藤本

ミサの後、岡田司教をはじめ司祭たちは、殉教の碑に花をささげ祈りました。その後参加した信徒たちが三々五々祈りに向かいました。

献花 祈りに向かう人々
岡田司教と司祭団による献花 祈りに向かう人々

24日の列福式は長崎で行われますが、「原主水らが処刑された地で、江戸の殉教者をしのび、彼らについて学び、その功績をたたえて感謝の祭儀(ミサ)をささげたい」という思いから、今回の集いが実現しました。信仰の先輩であり模範である殉教者たちをしのび祈ることができた貴重なひとときでした。

 

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