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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2008年5月3日


サツキ

 

3月22日、復活徹夜祭でキリストの復活を表す復活ローソクに火を灯して以来、わたしたちはこれまで40日間の復活節を過ごしてきました。死んで墓に葬られ、三日目に復活されたイエス・キリストはたびたび弟子たちに現れ、彼らの信仰を強め、復活のあかし人となるように力をお与えになりました。イエスがかつて言われていた「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(ヨハネ16.7)という約束のとおり御父のもとに行かれ、人としてのイエスの姿、形は見えなくなりました。

このことを意味する「主の昇天」を、5月4日に教会はお祝いします。そして5月11日はキリストが言い残された「弁護者」つまり「聖霊」が弟子たちに豊かに与えられた出来事を記念して、「聖霊降臨」をお祝いします。

今日の「アレオパゴスの祈り」では、ご一緒に聖霊について思い巡らし、イエスに代わって教え、わたしたちの内で共に働いてくださる聖霊を祈り求めましょう。

「聖なる霊よ 愛の火をともすため おいでください 聖なる霊よ」

イエス・キリストは言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と。このように、わたしたちが求めるなら大きな恵みの体験を与えると約束しておられます。

「聖なる霊よ 愛の火をともすため おいでください 聖なる霊よ」

今、わたしたちの心に浮かぶ願いをローソクの灯火に託してささげましょう。後ろでローソクを受け取って祭壇へささげ、「聖霊の実のカード」をお取りになって席へおもどりください。

聖パウロは「霊の導きに従って歩みなさい」(ガラテヤ5.16)と勧めながら、聖霊の導きに従って生活するなら、その実として、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制が、生活に現れてくると言っています。今、皆さんがお手元にお持ちになったカードはそれを表しています。聖パウロはその手紙の中で聖霊についてしばしば語っています。ローマの信徒に宛てた手紙を聞きましょう。

ローマの信徒への手紙 8.18~28

現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
 

(沈黙)

聖霊

 

『祈りの歌を風にのせ』p.35 「主に賛歌を」③ ⑤ ⑥

聖パウロは手紙の中でたびたび「霊」と「肉」という言葉を対比させて、「霊」と言えば、聖霊によって導かれていることを指し、「肉」と言えば、単なる自然的な人間にすぎない状態に生きていることを意味しています。しかも自然のままであると人は悪や罪に傾きやすく、神から離れた思いや生き方をしてしまう。だから、「霊に導かれる人」にならなければならないと教えています。しかし、それは、一大決心をして努力して勝ち得るというものではありません。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24.49)と弟子たちにイエスが言われたように、神に向かって心を開き、聖霊が注がれるのに備えて自分を整え、聖霊に強められることを願い求めることでした。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」これはわたしたちにとって大きな慰めであり、喜びです。どんな困難に遭遇しても、言葉にならないわたしたちの血のでるようなうめきや懇願、叫びを、聖霊は執り成してくださいます。「どこまでが自分の働きで、どこからが聖霊による働きであるのかを区別することができません。むしろ、聖霊と一つになった営みとして現れ、感じ取れるものです。これほど神は、ご自分の霊である聖霊をわたしたちに、わたしたち自身のものとして与えておられるのです。」
               (参照:『祈りと恵みの世界』池長潤著 女子パウロ会)

「聖パウロは回心の後、聖霊を受けてからの自分は、それまでの自分とはどれほど別人に生まれ変わったかを日増しに強く感じ取っていました。価値観、考え方、熱心に追い求める対象、感情の動きなど、さまざまな面で、自分はまったく違った人間になったという自覚は、彼の目を神の世界に向かって大きく開いていったのです。」(前掲書)わたしたちも大胆に、心からの願いをもって、聖霊を求め、その働きを確信することができるように祈りましょう。そうすれば、聖霊の結ぶ実がわたしたちの生活において現れるようになるでしょう。

『パウロ家族の祈り』p.245 「聖霊の続唱」

「聖なる霊よ 愛の火をともすため おいでください 聖なる霊よ」

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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