アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2009年6月6日
教皇ベネディクト16世は、使徒パウロの生誕およそ2000年を記念して、昨年の6月28日から今年の6月29日までの一年間を、「パウロ年」と制定され、全世界のカトリック教会は、この一年を盛大に祝ってきました。日本のカトリック教会でも、聖パウロについて学び、祈り、彼を知らせるためにいろいろなイベントが行われました。教皇は、宣言の中で、「パウロの使徒職の成功は何よりも、彼がキリストに完全に献身しながら自ら福音の告知に努めたことによります。この献身は、危険も困難も迫害も恐れませんでした。」と語っています。
今晩の「アレオパゴスの祈り」では、聖パウロがこの一年をとおして、取り次いでくださっためぐみに感謝し、キリストの死と復活を、いのちを賭けてあかしした彼の生き方を思い起こして祈ってまいりましょう。
後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげましょう。祭壇の上の祈りのハガキをお取りになって席にお戻りください。
聖ペトロとともに教会の礎を築いたパウロは、教会のために手紙という大きな遺産を残してくれました。手紙には、パウロのキリストの愛にかられた熱い情熱があふれています。この手紙を通じて、パウロ自身が、今晩ここに集まったわたしたちに、キリストの深い愛を知らせてくださいますように願いましょう。
パウロは、キリストのために何度もいのちの危険に遭いながらも、神への愛に駆り立てられて、最後の最後まで、ただひたすらみ言葉を宣べ伝えました。これからパウロの2つの手紙、コリントの信徒への第2の手紙とテモテへの第2の手紙の一部分をご一緒に読んでいきたいと思います。はじめに、パウロ自身が受けた労苦を語っている、コリントの信徒への第2の手紙を聞きましょう。
使徒パウロのコリントの信徒への手紙 2 11.22~29
彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが5度。鞭で打たれたことが3度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが3度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかいなこと、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
パウロの旅は、徒歩で何千キロにも及ぶものでした。現代と違い、交通の手段は徒歩と帆船のみでした。シリアのアンティオキアを出発する宣教旅行を3度行い、合計8000キロをはるかに超える道のりです。道とはいうものの海抜千メートルの高原にさしかかる険しい坂道や岩だらけの道、やっと通れるほどの小道で人家はまれにしかなく、危険な道でした。また、山崩れや気候の変動、いつ襲ってくるかわからない盗賊など、思いがけない難に出遭っても、それを乗り越えて行くだけの相当な覚悟がいりました。
今日、パウロの歩いた道をたどる人は、今でもまだ死の危険をともなうようなきびしい地を訪れて、パウロの信じがたいほどの労苦を思い、心に感動を覚えるでしょう。
このような自然界の外的苦難に併せて、さらにひどい困難は、人からやってくる苦難であることをパウロは語っています。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度・・・同胞からの難、異邦人からの難、偽の兄弟たちからの難・・・」パウロの宣教の旅は、たえざる殉教の日々でした。
また、パウロは、健康上の障害にも襲われました。重い病気にかかり、第2回宣教旅行の途中、しばらくガラテア地方にとどまらなければならなかったと言っています。その病気が何であったかはわたしたちには、わかりませんが、人に嫌悪をもよおさせるものであったらしく、慢性で不治のはっきりしない病であったようです。しかしパウロは、神からこれらの困難に耐え抜く忍耐強さを与えられ、勝利を得ました。神からの不思議な力に対して、パウロは次ぎのように言っています。
「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態であっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリント2 12.7~10)
パウロのすばらしい勝利の秘訣は、“わたしは弱いときにこそ強い、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。” こう言い切ったパウロの神への信頼にすべてがあったのではないでしょうか。
(沈黙)
「テモテへの第2の手紙」は、獄中で刑の執行を待っていたと思われるパウロが、エフェソにいる愛する弟子テモテに送った手紙です。パウロの霊的遺言と言われている箇所を聞きましょう。
使徒パウロのテモテへの手紙2 4.2~8
み言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。わたし自身は、既にいけにえとしてささげられています。世を去る時が近づきました。
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄光を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
パウロはいつ、どこで捕らえられたのでしょうか。伝説によると、トロアスのカルポという人の所に泊まっていて、突然捕らえられ、着のみ着のまま、マントさえも手にすることができないで連れていかれたと言われています。
ローマに連れて来られて、今回投げ込まれたのは、以前の捕らわれのように兵営の近くに借りた家ではなく、重罪犯人をつなぐマメルティーノの牢獄だったと言われています。じめじめした地下牢の壁にもたれて、寒さに震えながら、やっとのことで愛する弟子に何かを書き残そうとしているパウロの姿が想像できます。
残された時間があとわずかであると悟ったパウロは、手紙の中で愛するテモテに心を込めて書いています。
わたしは昼も夜も祈りながら、ずっとあなたのことを思っています。別れたときに、あなたが泣いていたのを思い出すと、会いたい気持ちでいっぱいです。あなたの信仰が本物であることを知っているので、思い出すたびに神さまに感謝しないではいられません。この信仰をあなたは、おばあさんとお母さんから受け継いだのでした。わたしの子、テモテよ、キリスト・イエスの恵みによって強くなりなさい。わたしたちの主イエス・キリストは、死者の中から復活させられたということを思い出しなさい。
わたしはこのように福音を述べ、この福音のために悪人のように鎖につながれて苦しんでいます。けれども神さまのみ言葉は決してつながれません。わたしは、神さまに選ばれた人々のために、喜んでこの苦しみをしのびます。彼らもイエス・キリストから救いと永遠の栄光をいただくことができますように。
教会の中にずっと伝わってきた伝承によると、紀元67年の6月、パウロは牢から引き出され、ローマ郊外から5キロほど離れたアクアス・サリヴィス、今はトレ・フォンターネと呼ばれている所で、当時の市民法の規定に従って裸にされ、墓標に縛られ、鞭打たれ、刀で頭を切り落とされたとされています。今は、3つの記念聖堂が建ち、トラピストの修道士たちが守っています。遺体が埋葬されたローマ城壁外の墓地の上には、美しい大聖堂が建っています。
「栄光から栄光へ」① ②
右の絵をご覧ください。この絵は、ローマの使徒の女王大聖堂の中にあり、1961年に描かれた聖パウロの肖像画です。
絵全体は、開かれた大きな扉に収められています。パウロは絵の真中に立ち全身像で描かれています。緑色の長い衣を身につけ、赤いマントをまとっています。左手には剣と閉じられた一冊の本を持っています。右手は心臓の上に置き、何かを抑えるか、引き出すような格好をしています。目は上の方を見つめ、サンダルを履いて歩く姿をしています。強い光が上方より差し込み、パウロ全体を包んでいます。そして、彼の周りにいる人たちも照らしています。パウロの肩に落ちる光はいっそう強くなり、光には段階があります。薄暗いものから明るいもの・・・そして栄光の輝きに満ちたものへと導きます。
パウロの足もとの描かれている人々に注目しましょう。一番左に描かれているのが、聖アウグスチヌスです。司教、教会博士、神学者である彼は、パウロの方を向いています。目は上の方を見、左手には閉じられた聖書を持ち、右手には杖を持っています。
聖アウグスチヌスの隣は、アクィノの聖トマスです。教会博士、神学者でした。開かれた聖書を手にし、それに見入っています。
アクィノの聖トマスの隣に描かれているのは、聖ボナヴェントゥーラです。司教、教会博士、神学者で、聖トマスが持つ聖書に見入っています。
その隣が聖アルフォンソ、彼は、司教、教会博士、倫理学者です。開かれた本を見るかのように十字架を見つめています。
一番右に描かれているのは、教皇聖グレゴリオ一世、教会博士、典礼学者。右手には開かれた聖書。左手には杖。目はじっと前方を見つめています。耳のそばには一羽のハトが描かれています。
手前でひざまずいて手を合わせているのは、教皇レオ13世です。20世紀の人類への指針として出された回勅『タメトゥシ・フトゥーラ』と労働問題を初めて扱った『レールム・ノヴァールム』を発布した教皇です。彼の教皇としての王冠は、地面に置いてあります。
絵の下の方にある文字は、聖なる使徒、選ばれた器、異邦人の師、殉教者、出版の保護者、とパウロの肩書きが刻まれています。
このパウロの絵からいくつかのメッセージが読み取れます。立っているパウロはいつでも敏速に動き、奉仕することができます。主の呼びかけにいつでも応える用意ができている彼の迅速さを物語っているようです。
赤いマントと剣は宣教と殉教のしるしです。パウロが徹底的にキリストに従って生きたことを示しています。主キリストの神秘を知り、生き、すべての人に福音を告げるために呼ばれた人の模範とされています。
サンダルを履いて歩く姿は、まだだれも福音を告げに行ったことのない所に、キリストを告げ知らせに行くことを示しています。
教会の博士、教父、著作者がパウロの足もとにあいる集まっているのは、パウロから霊感を受け、パウロから知識をくみ取って、道・真理・いのちである師イエスにおいて科学と信仰を統合するためです。
パウロとともに祈ってきたこの一年を感謝するとともに、これからもわたしたちが、困難や危機の中にあるとき、どんな状況の中でも、あきらめないでいつも希望をもって生きることができるよう、彼の取り次ぎによって忍耐の恵みを求めて祈りましょう。
『パウロ家族の祈り』p.278 「忍耐を求める祈り」
光栄ある聖パウロ、あなたは、キリストを迫害する者から、
もっとも熱烈な使徒とされ、
救い主イエスを地の果てまで知らせるために、
投獄、鞭打、石打ち、難船、あらゆる迫害に苦しみ、
血の最後の一滴までも流されました。
病弱、苦悩、この世の不幸を、
神のあわれみによる恵みとして受け入れる心構えを
わたしたちに取り次いでください。
わたしたちが、この世の過ぎ行く旅路にあっても、
神への奉仕を怠ることなく、ますます忠実で、
熱誠あふれる者となりますように。
最後に聖パウロの言葉を聞きましょう。
テサロニケの信徒への手紙2 5.16~21
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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