アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2009年9月5日
シオンは言う。主はわたしを見捨てられた、
わたしの主はわたしを忘れられた、と
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしは あなたを わたしの手のひらに刻みつける。
(イザヤ49.14~16)
1997年9月5日、ちょうど12年前の今日、世界中のお母さんと慕われたマザー・テレサは、インドのコルカタで87歳の生涯を閉じられました。来年は、マザーの生誕100周年を迎えます。
マザー・テレサは、日本にも1981年に初めて、ついで82年、84年と3回来日されました。マザーがなさったこと、呼びかけてくださったことは、今も世界中の人々の心に生き続けています。今晩のアレオパゴスの祈りでは、マザーがご自分の生き方と言葉で語りかけてくださったことを思い起こしたいと思います。わたしたちと、世界中の人々の必要のために取り次いでくださるようにごいっしょに祈ってまいりましょう。
ローソクを受け取り、祭壇にささげましょう。
マザー・テレサは、1910年8月26日、旧ユーゴスラビア、現代のマケドニアのスコピエで、アルバニア人の家庭に3人兄弟の末っ子として生まれました。本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュといいます。1928年、18歳のとき、アイルランドに本部があるロレット修道会に入会しました。インドに派遣され、北部のベンガル州のダージリングの修練院で修道女になる教育を受け、20歳で初誓願を立て、シスターテレサとなりました。
それからコルカタのロレット修道会のセント・メリー・ハイスクールで17年間、地理の先生として子どもたちに教え、1944年には、校長に任命されました。
それは、1946年のことでした。テレサは、ダージリングに行く汽車の中で、キリストに従う新しい道へと呼びかける「神の声」を聞きました。すべてをささげてスラム街に入り、「貧しい人たちを助け、その人たちと生きるために、ロレット修道会を去らなければならない」という神さまからの招きでした。愛するロレット修道会を去ることは、テレサにとって、とても辛いことでした。しかし、彼女は、神さまからの声に従って、貧しい人々のために働く、新しい修道会をつくならなければならないことを理解したのです。
こうして1950年、貧しい人々の中で最も貧しい人に仕える使命をもった、ミッショナリーズ・オブ・チャリティー「神の愛の宣教者会」を設立しました。路上に見捨てられ、死に瀕している人を収容し、その最期をみとるまで世話をするために始められた「死を待つ人の家」がつくられた後、「子どもの家」「ハンセン病患者の平和の村」など、マザーの仕事は急速に広がっていきました。この働きは平和をつくりだすこととして1979年ノーベル平和賞を受賞し、マザー・テレサは世界中に知られるようになりました。
「わたしは受賞に値するような人間ではありませんが、世界の最も貧しい人々に代わってこの賞を受けます」との受賞のときの彼女の言葉は、たくさんの人の心に感銘を与えました。また、インタビューの中で「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えは、「家に帰って家族を大切にしてあげてください」ということでした。
イエス・キリストが「わたしが飢え、裸で、病気で、家なしだったときに、あなたはわたしにしてくれた。わたしの兄弟である小さな者の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたのである」と言われた言葉をマザー・テレサは、ひとつひとつ生涯を賭けて実現していきました。マタイ福音書の中で、これを語っておられるイエスのみことばを聞きましょう。
マタイによる福音 25.31~45
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』」
今日も同じ飢え、同じ孤独、だれからも受け入れられず、だれからも愛されず、必要とされないという同じ状況にある人の痛みを、キリストは痛みつづけておられます。マザー・テレサは、このキリストの心の痛みを感じ、神さまからの呼びかけに応えられました。わたしたちもこの痛みに共感を覚え、自分にできることで応えていけますように。
マザー・テレサからわたしたちへの遺産となったたいくつかのことばを思い起こして味わってみましょう。ことばの朗読のあと少し沈黙して祈りましょう。
わたしは、自分たちの今していることは、大海のひとしずくにすぎないと思っています。けれど、もしそのひとしずくがなかったら、大海もそのひとしずくぶんだけ少なくなるでしょう。わたしたちにとって大切なのは、一人ひとりです。・・・今という時に接しているそのひとりが、わたしにとって世界でただひとりしかいない人なのです。
人間にとって、もっとも怖いものは病気でも貧困でもありません。自分はだれからも必要とされていないと感じる心の飢えです。
富める国で貧困と闘うことは、貧しい国で闘うよりもむずかしいのです。
(沈黙)
単にほほえむだけで、どれほどたくさんの善をもたらすことができるのか、わたしたちは、決して知ることができないでしょう。ほほえみは、人にやさしくふれるようなものです。わたしたちいのちの中へ、神さまの真(まこと)のひとひらを運んできてくれるものです。(沈黙)
あなたのなさることを、わたしはできません。そして、わたしのすることを、あなたはできないでしょう。でも、わたしたちはみんな、神さまがおゆだねになったことを果たします。わたしたちは、ときどきそのことを忘れ、他人のことを見たり、何かほかのことをしようと望んだりして、時間をむだにするのです。(沈黙)
祈りは、わたしたちに、清い心を与えてくれます。清い心には、神さまを見る力があります。(沈黙)
多くの人々が、生きてきたように、死んでいきます。死は人生の続編、その仕上げにほかなりません。このいのちは終わりではありません。もし、これが終わりだと思う人には、死は恐ろしいことです。死は、神さまのもとへ戻る通路にほかならないということを人々に納得させることができれば、もうそこには、なんの恐れもないでしょう。(沈黙)
親切で、慈しみ深くありなさい。あなたに出会った人がだれでも、前よりももっと気持ちよくなって、明るくなって帰るようにしなさい。神さまのご親切の生きたしるしとなりなさい。親切があなたの表情に、まなざしに、ほほえみに、あたたかく声をかける言葉に表れるように。
宗教を問わずにすべての貧しい人のために働いたマザー・テレサは、1997年9月5日、世界が見守る中、87年の生涯を終えました。2003年10月19日には、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されました。
わたしたち一人ひとりの一回限りの人生は、限りなく尊いものです。いのちは、愛し合うようにつくられています。たとえそれがその人の最期の瞬間にすぎなくても、労苦を惜しまず、その人が人間として生きることができるように助け合いましょう。これこそマザー・テレサが遺言としてわたしたちに教えてくださったことではないでしょうか。わたしたちの周りの人に微笑みかける、助けの手を差しのべる、といった小さなことが、その人にいのちを与える偉大なことにつながっていくのです。
最後に、お手元のマザー・テレサの写真の裏に書かれている祈りをごいっしょに唱えましょう。
主よ、わたしが飢えているときに (マザー・テレサの日本人共労者の祈り)
主よ、わたしが飢えているとき
食べ物を必要としている人を与えてください
主よ、わたしが渇いているとき
水を必要としている人を送ってください
わたしが寒いとき
温められることを必要としている人を送ってください
わたしが傷ついているとき
慰めを必要としている人を与えてください
わたしの十字架が重くなったとき
他の人の十字架をいっしょに担わせてください
わたしが貧しいとき
必要なものを欠いている人をわたしのところへ導いてください
わたしに時間がないとき
少しでも奉仕できるようにだれかを送ってください
わたしが侮辱されているとき
賞賛できるだれかをわたしに送ってください
わたしが落胆しているとき
勇気づけられることを必要としている人を送ってください
わたしが理解されたいと思っているとき
わたしに理解してほしいと思う人を送ってください
わたしが世話を必要としているとき
世話をしてほしいと思う人をわたしに与えてください
自分のことだけを考えているとき
わたしの思いを他の人たちへ向けてください
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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