アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2011年3月5日
わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。
神にわたしの救いはある。
神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦(とりで)の塔。
わたしは決して動揺しない。
わたしの魂よ。沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしの希望をおいている。
神はわたしの岩、わたしの救い、砦(とりで)の塔。
わたしは動揺しない。
わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする神のもとにある。
民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
(詩編62.2~3、6~9)
カトリック教会は、3月9日の灰の水曜日から四旬節と呼ばれる、キリストの受難を黙想する季節に入ります。四旬節とは、イエス・キリストの受難と死を思い起こしながらイエスの復活のいのちの喜びにあずかる復活祭の準備の40日間を指しています。また、教会は、3月をイエスの父である聖ヨセフにささげ、聖ヨセフへの信心と尊敬をもって3月19日に彼の祭日を祝います。今日は、聖ヨセフに焦点をあてて祈ってまいりましょう。
お祈りしたい意向をもって、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、ハガキをお取りになって席にお戻りください。
神さまは、人々を救う計画の中で、ヨセフを選ばれました。わたしたちは、彼について、新約聖書に書かれているわずかなことだけしか知ることができません。しかし、ヨセフは、人間として大切な役割を果たしました。困惑しながら、苦しみながら、神さまが示される道を受け入れ、妻マリアと幼子イエスを守りぬきました。はじめに、マタイ福音書にある、天使が神さまからのメッセージを夢で、ヨセフに伝える箇所を聞きましょう。
マタイ福音書 1.18~24
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ
この物語は、クリスマスの直前の日曜日に、読まれている箇所で、福音書の中で、数少ないヨセフが登場する場面です。どの福音書を読んでも、ヨセフがどのような人であったかを知る手がかりはほとんど記されていません。イエスの誕生物語を最も詳しく描いているルカも、ヨセフについてはただ「マリアのいいなずけ」として名前を記しているに過ぎません。ヨセフの人物像を知る唯一の手がかりは、このマタイによって書かれた、福音書に登場する「正しい人」という言葉だけです(マタイ1.19)。
マタイ福音書では、ヨセフの立場から救い主イエスの誕生をとらえようとしています。主の天使は、突然ヨセフに、全く予期しない方法で訪れました。「聖霊によってみごもっている」マリアのことを知って、とまどうヨセフの姿が記されています。ヨセフは、マリアの身に起こった出来事にどれほど苦しみ悩んだことでしょう。
神さまの偉大な力の働きを前にして、正しい人ヨセフは、たじろぎます。そのようなヨセフに天使が夢に現れて、「ヨセフよ、マリアを家に迎え入れるのを恐れるな。その胎内に宿されているものは、聖霊によるものである……その子をイエスと名付けよ。自分の民をもろもろの罪から救う者となられるからである。」(マタイ1.20~21)と主の神秘を明らかにして励まします。神は、人間の自由な承諾なしには何も実現されません。人が戸惑い、悩みを乗り越えて、受け入れた自由な承諾という協力を得て、偉大なご計画を実現していかれます。
(沈黙)
イエスが誕生した後、天使は、再びヨセフの夢に現れて、幼子の命を狙っているヘロデ王の手から救うために、エジプトへ逃げるようにと導きます。さらにその後、天使は、エジプトにいるヨセフの夢に現れ、イスラエルに戻るようにメッセージを告げます。マタイ福音書の続きの箇所を聞きましょう。
マタイ福音書 2.13~15、19~21
主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
イエスの誕生の喜びもつかのま、ヨセフとマリアにまたもや苦しい試練がふりかかってきます。天使がヨセフの夢の中で、「すぐに起きてイエスと母マリアを連れてエジプトに逃げる」ようお告げがありました。この知らせを聞いたヨセフはどんな思いだったでしょう。生まれたばかりのイエスと出産を終えたばかりのマリアを連れて、急いで旅に出なければならない苦しみと不安。今のように乗り物はない時代です。エジプトまではかなり遠いし、途中には砂漠もあります。頼る人はだれもいません。
しかし、ヨセフは迷わず、すべてを神さまに信頼して出発します。エジプトでの滞在も聖書は、彼らのことを何も記していませんが、苦労の連続だったにちがいありません。
さて、時は流れ、エジプトでの生活も終止符を打つときが来ます。再び天使がヨセフに夢の中で現れ、「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」と告げます。ヨセフは、すぐに起きて幼子とマリアを連れて帰っていきます。決して楽な道ではないけれど、ヨセフは、神さまがそのときそのときに示してくださることに従い、心から信頼して応えていきました。
ヨセフがいつどのように亡くなったのかは、はっきりわかりませんが、イエスの公生活の間、イエスが「マリアの子」(マルコ6.3)と呼ばれていたことは、父親のヨセフが亡くなって、かなりの年月がたっていることを示しています。ヨセフは死ぬとき、おそらく、イエスと聖母マリアに囲まれて安らかに亡くなったと考えられることから、臨終の苦しみを助ける保護者として崇められるようになりました。また、教皇ピオ9世は、1870年12月8日に聖ヨセフを教会の保護者であると宣言されました。
今まで聞いたヨセフの姿を思い浮かべ、どのようなときも神さまの望みに応えていったことをしばらく思いめぐらしましょう。
(沈黙)
ここで、アロイジオ・ラルマン神父(1587~1633)が、聖ヨセフのとりなしによって恵みを得た、17世紀スペインで起こった物語をご紹介しましょう。
ある神学校の聖堂で、赤い聖櫃のランプに照らされてひとりの神学生が静かに祈っていました。この神学生は毎晩、聖堂の同じ場所にひざまずいて、敬虔に手を合わせ、若い瞳を輝かせながら、ある一点を見つめていました。その一点というのは、片手で幼な子イエスを抱き、もう一方の手に白ユリの花を持った聖ヨセフの像だったのです。
心静かに祈る神学生の瞳の奥には、2,000年も前にナザレで貧しく生活された聖ヨセフの姿が映っていました。大学をを終えると、すぐイエス会の修道院に入ったこの若いアロイジオ神学生の聖ヨセフに対する信心は、神学生の中でも特に際立っていました。
彼は今から進み行こうとしている修道生活を正しく見つめて、これは人間の業ではない、人間の力で出来る生活ではないと心から悟り、ただ神さまの恩恵に頼るより術はないと信じて、その最も有効な手段として、聖ヨセフに対する信心に励むように決心したのでした。それからというもの、アロイジオ神学生は、一日に4回、特別に聖ヨセフの像の前にひざまずいては、短い祈りと黙想を実行したのです。
朝は、神さまの思し召しに対して完全に忠実な生活を送られた聖ヨセフを黙想し、自分も聖ヨセフのように神さまの思し召しに忠実でありたいと反省しました。昼は、聖ヨセフがイエスとマリアに完全に一致していたことを黙想し、自分もそのように生活したいと願いました。夕方になると、聖ヨセフがいかに聖母マリアを愛されたかを黙想し、自分も聖ヨセフによって一心に聖母マリアを愛そうと祈りました。最後に寝る前にもう一度ひざまずいて赤いランプに照らされながら、静かに聖ヨセフの生活を色々と黙想し、自らの生活と比べていました。
彼の聖ヨセフに対するまじめな信心と愛とは、たいへん神さまの御心を喜ばせました。したがって神さまはアロイジオ神学生に多くの恵みをお与えになり、彼はついに叙階されました。年と共に彼の聖ヨセフに対する信心はますます熱心になるばかりで、彼は特別な恵みで不思議なことに、人の心を見抜き、罪人を回心させるなど、大きな働きをするようになりました。
「アロイジオ神父さまは聖ヨセフで生きておられる」というのが信者の間の評判でした。やがて神父は、ブルゴス大神学校の校長になりました。アロイジオ校長は教授たちに、授業や生活を通して聖ヨセフの信心を神学生に教えるように常に勧めていました。このような有さまですから、神学校全体と聖ヨセフの関係はますます深くなり、3月ともなれば聖ヨセフへの祈りや催しで賑やかなほどでした。
ある年、聖ヨセフの大祝日の前晩のことです。校長室をノックしたふたりの神父がいました。グラチアノ神父とバジリオ神父です。「校長さま、明日はあなたの最も尊敬しておられる聖ヨセフの大祝日です。私たちは皆、この日の来るのを心待ちにしていましたが、私たちふたりは特別に待っていました。神父さま、お願いします。神父さまが聖ヨセフに祈られますと、必ずその願いは聞入れられるでしょう。ですからわたしたちの願いを彼に取り次いでください。」そして、グラチアノ神父は言葉を続けました。
「イエスと聖母マリアについて美しい説教をし、また立派な本を書く恵みをお願いしたいのです。」次にバジリコ神父が言いました。「神父さま、私は宣教地へ行くことができる恵みをお願いします。」
アロイジオ神父はそれを聞くと一つ大きくうなずきました。その翌日は聖ヨセフの大祝日です。ミサが終わって間もなくして、グラチアノ神父が校長室をノックしました。
「昨日お願いした恵みの事ですが、あれを別の恵みと取り替えて頂きたいのですが……」それを聞いた校長は、「もう遅いです。あなた方の願いは聴きいれられるでしょう。ですから恵みを取り替えることはできません。」と答えました。そのとおり、グラチアノ神父は名説教家となり、また20冊にも及ぶ立派な本を残して亡くなりました。一方バジリオ神父はカナダに渡り、一生涯を宣教にささげた後、その地で亡くなりました。カナダに聖ヨセフの信心を広めたのは、このバジリオ神父でした。
アロイジオ神父は聖人の評判を残して、この世を去りました。神父の希望によって棺の中に聖ヨセフの像が入れられ、多くの人々の悲しみのうちに葬られました。青年のころから聖ヨセフの愛と信心に生きたアロイジオ神父の霊魂は、聖ヨセフの美しい手に導かれて永遠の天国へと旅立ちました。
(聖母の騎士社 カシアノ・テティヒ著 「聖ヨセフに祈る」より抜粋)
聖ヨセフに向かう祈り (『パウロ家族の祈り』より)
聖ヨセフ、あなたを勤労者の模範、貧しい人の友、苦しむ人と移住者の慰め手、
み摂理の聖人としてあがめます。
あなたは、この世で、天の父の善良さとその配慮を、身をもって示し、
またナザレの職人として、貧しい労働者となられた神の子のために、
労働の師となれました。
あなたの祈りで、知的、精神的、肉体的労働に労苦する人々を助け、
世界の国々が、福音に照らされた法律、キリストの愛の精神、
正義と平和にふさわしい秩序を得られるようにしてください。
聖ヨセフ、わたしたちのために祈ってください。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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