アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2011年6月4日
カトリック教会では、復活の主日から50日目に聖霊降臨祭を祝います。日本語では、「聖霊降臨」と呼んでいますが、ギリシア語では、ペンテコステと言い、ヨーロッパの言語やラテン系の言葉は、そのままペンテコステと呼んでいます。「50日目/50番目」という意味で、聖書では「五旬祭(ごじゅんさい)」と表記されています。今年は、6月12日に祝い、この日をもって復活節が終わります。
キリストが十字架で処刑されたのは過ぎ越し祭のときでした。その後、キリストは、3日目に復活し、それから40日間にわたって弟子たちを教えたあと、天に昇られた。その1週間後に"救い主"キリストに代わってこの世に来たのが、"助け主(たすけぬし)"であり、"弁護者"と呼ばれる聖霊でした。
クリスマスやイースターは、知っている方が多く、親しまれていると思いますが、聖霊降臨祭はあまり知られていません。しかし、教会にとっては、とても大切な日です。それは、教会の誕生日だからです。聖霊が注がれなければ、教会は誕生しなかったという意味で、記念すべき祝日です。今日のアレオパゴスの祈りは、聖霊降臨について、聖霊の働きとその恵みをご一緒に見ていきたいと思います。
今晩も、一人ひとりの願いとともに、祈りを必要としている人々のことを思いながらささげましょう。特に、大震災によって、精神的、身体的に大きな傷を受けた多くの子どもたちのため、両親や兄弟を失ってしまった子どもたち、原発事故によって被害を受け、不安の中にいる子どもたちを記憶に留めて祈りましょう。 後ろでローソクを受け取った方から、祭壇にお進みください。祭壇の上のハガキをお取りになって席にお戻りください。
イエスは、復活されてから40日間にわたって、弟子たちに姿を現され、神の国について教えられました。そして40日目にその弟子たちの見ている前で、天に昇っていかれました。そのとき、イエスは、父なる神さまが、あなたがたに与えると約束された聖霊を待っていなさいと命じられました。そして、50日目、聖霊降臨の日を迎えました。新約聖書の「使徒たちの宣教」の中にあるその出来事を聞きましょう。
使徒たちの宣教2.1~13
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
(沈黙)
弟子たちが集まっているところに、突然聖霊が降ってきました。その様子は、激しい風の吹くような音とともに、炎が舌のような形で現れて、弟子たちの上に分かれて留まったと書かれています。彼らは聖霊に満たされて酒に酔ったような興奮状態になり、聖霊が語らせるままにいろいろな異国の言葉で語りだしました。外国から来ていた人たちは、大変驚きました。どうして自分たちの国の言葉を弟子たちが話すのだろうと不思議に思いました。
旧約聖書の創世記の中に、「バベルの塔」の物語があります。この物語は、聖霊降臨の日に起こった出来事とは、正反対のことを語っています。同じことばを話していた人たちが、神さまのご意志を理解せず、人の力だけで天にまで届く高い塔を建てて有名になろうと作り始めました。ところがそれをご覧になった神さまは、“そのままにしておいたら人間は、神さまのことを忘れ、自分たちは何でもできる力を持っていると、高ぶった考え方になってしまう。人間は人間であって、神さまではないことを教えなくてはいけない。”と、人々の言葉を乱し、今まで同じことばで理解し合っていたことばを通じなくさせてしまいました。それで、人々はお互いのことを理解することが難しくなり、協力して仕事をすることができなくなりました。もし人間が、神さまのみ旨を無視して、自分たちだけで世界を造ろうとするなら、人は私利私欲で動き、お互いの関係では、疑いが生まれ、結局同じ言葉を話していても、相互理解が不可能になってしまいます。この物語は、そんな人間の現実が語られています。
さて、話をイエスの時代に戻しましょう。
復活されたイエスは、天に昇る前に、弟子たちに、仰せになりました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1.8)こうして新しい神の民の教会は、聖霊を受けて強められ、キリストの証人としての活動を始めました。弟子たちは、イエスの受難のとき、一目散に逃げ出してしまった人たちでした。しかし、聖霊を受けて、弟子たちは、イエスの教えをよく悟り、大胆にイエスの復活の出来事を述べ伝え、多くの人々を信仰に導きました。
聖霊は、人間が頭で理解しようとしても難しいと感じられるでしょう。聖霊の働きは、人間の考えをはるかに超えた神の働きです。大切なのは、わたしたちが神の働き、神の助けを自分の中に感じ、他の人の中にもそれを見いだし、ともに神の導きを探し歩んでいくことだと思います。
聖霊降臨祭は、今もわたしたちに聖霊が与えられていること、そして、その聖霊がわたしたちのうちにとどまって、毎日、わたしたちのために、救いの業を継続してくださっていることを祝う日でもあります。聖霊は、わたしたちの心に愛の強さを芽生えさせます。自分のエゴイズムを抑え、人を赦し、人を愛し、祈っていく力を豊かに与えてくださっています。
次に、ヨハネ福音書20章に書かれている、復活したイエスが弟子たちと出会い、聖霊を与えられたところを聞きましょう。
ヨハネによる福音書 20.19~23
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
(沈黙)
弟子たちが集まっているところに聖霊が与えられて、教会を形づくるグループが誕生しました。教会は、霊をとおして神さまと人間が一緒にいる場、神さまの霊を受けた人がともにいる場のことです。そこには、今も神さまの霊、イエスの霊である聖霊が働いています。聖霊は洗礼をとおしてわたしたちに与えられています。この霊は、人が自分の力で獲得したものでなく、神さまからの贈り物です。神さまはこの贈り物をいつでも豊かに与えようとしておられます。わたしたちが意識しなくても、いつも働いてくださっています。また、歴史の中で、人間の協力をとおして、イエスの救いの業が実現してきました。聖霊の息吹に強められて、神さまと人が結ばれて、使命を果たしていくとき、霊の実がしっかりと結ばれていくのではないでしょうか。
イエスがわたしの真ん中にいてくださるということは、自分の生き方がいつもに「神さま」という方向に向いているので、常に安定していられる状態になります。心の深いところでの喜びを感じることができるでしょう。イエスが真ん中にいてくださると、わたしたちは自分の好き嫌いを超えて、人々を愛することができるようになり、損得を超えたところでの奉仕ができるというすばらしい恵みが与えられるのです。
聖パウロが、ガラティアの信徒への手紙に書いている箇所を聞きましょう。
ガラティアの信徒への手紙 5.22~25
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
聖霊の続唱
聖霊来てください。あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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