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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2011年9月3日


シオン



  主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
  座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟ってくださる。
  歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
  わたしの舌がまだひとことも語らぬさきに、
  主よ、あなたはすべてを知っておられる。
  前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。
  その驚くべき知識はわたしを超え、あまりに高くて到達できない。

  神よ、わたしを究め、わたしの心を知ってください。
  わたしを試し、悩みを知ってください。
  ご覧ください、わたしの内に迷いがあるかどうかを。
  どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。
                           (詩編 139.1~6、23~24)

9月21日は、新約聖書のマタイによる福音書を書いたマタイ福音記者の祝日です。マタイは、もとカファルナムの徴税人で、収税所にいたところをイエスから呼ばれました。この収税所でのマタイの召命の物語は、ヨハネによる福音書を除いて、他の三つの福音書に書かれています。その中でも、マルコによる福音書だけはマタイという名前ではなく、「アルバヨの子レビ」と書かれています。マタイは、シリアのアンチオキアでユダヤ人のキリスト者に向けて福音書を書きました。イエスは、いろいろな人を招いて弟子にされました。「わたしについて来なさい」という短い言葉に答えて、マタイは、イエスの招きにすぐに従いました。マタイの人生は、そこから、一変し、新たにすべてが始まります。

今晩の「アレオパゴスの祈り」は、キリストの12使徒の一人であるマタイにスポットをあてて祈りたいと思います。

また、9月21日は、世界中で「国際平和の日」が開催されます。2002年に国連総会は、9月21日を「国際平和の日」と定めることを宣言しました。すべての国、すべての人々にとって共通の理想である国際平和を記念、推進していくこの日、わたしたちが違いや限界を超えて、根本的に平和のために働くことを深く再認識することができますように、平和のために祈りましょう。

徴税人マタイが、イエスから招かれ弟子になる場面を聞きましょう。

マタイによる福音9.9~13
イエスはそこをたち、通りがかりにマタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人たちも大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜあなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

イエスがカファルナウムに帰って来たときのことです。大勢の群衆がイエスのまわりに集まってきます。多くの病人が癒してもらうために混み合っています。しかし、もちろんすべての人がイエスのもとに集まったわけではありません。全く関心のない人たちもいました。マタイはそんな一人でした。マタイはイエスのところには、行きませんでした。彼にとっては、ナザレのイエスがカファルナウムに帰ってきたことなど、どうでも良かったのです。

しかし、イエスが通りかかったとき・・・物語は、ここから始まります。彼は収税所に座っていました。彼は徴税人です。今読んだ聖書の箇所にあるように、繰り返し徴税人は罪人と並べられています。徴税人は、異邦人であるローマ人のために同胞から税金を取り立てる仕事でした。神に逆らうものとして蔑まれていただけでなく、不正の利益が蓄えられ私欲を増やしていました。

彼は、収税所に座っていた"と、何気なく表現されています。その言葉は、マタイがそのとき、まさに罪深い生活の中にどっかり腰をおろしていたことを暗示していると言えます。マタイは、イエスが行っている神の御業も神の言葉も自分とは全く関係ないと思っていました。彼らの集まりは自分のいるところとは別世界だと考えていました。

ところが、そのようなマタイに、イエスの方から目を止められました。イエスの方から「わたしに従いなさい」と声をかけられたのです。マタイは、「彼は立ち上がってイエスに従った」と書いています。「立ち上がる」という意味は、「復活する」という意味もあるそうです。マタイは、罪の生活の中にどっかりと腰をおろして、「神の愛なんて関係ない。永遠の命なんて関係ない。」と生きていました。しかし、イエスに招かれたとき、彼の心は動かされ、そこから立ち上がり、新しい命に生き始めました。それは、霊的に死んでいた状態から、確かに「復活」と表現できるかもしれません。

イエスと弟子たちとの関係は、わたしたち人間の師弟関係とはずいぶん違うことに気がつきます。通常、弟子になりたい人は、自分で先生を選んで弟子入りするものです。それは、当時のユダヤ教の世界でも同じでした。律法の教師、ラビのところに弟子入りしたい人は、自分が従うラビを選び、ラビの言葉に耳を傾け、その生活を倣い、律法に従った生き方を学びました。ところがイエスの弟子たちの弟子入りは、全く違っています。シモン・ペトロの場合もそうです。ペトロがイエスを選んだのではなく、漁をしていた彼の生活の中に、イエスの方から入り込んでこられました。イエスが彼を呼び出して弟子とされたのです。

今、読まれた聖書の箇所で、ファリサイ派の人たちが「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と弟子たちに言っています。弟子たちは何も答えることができません。すると、イエスが、即座に「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と答えられました。

イエスが罪人を招くのは、そのままでは死んでしまう、滅びてしまう人間を、罪から救うためだからです。イエスが自らを医者にたとえたのは、イエスが罪の病を癒すためでした。この福音書を書いたマタイは、その意味が良くわかっていたと思います。マタイは、イエスに招かれた罪人の一人であり、イエスによって生き返らせていただいた一人だったからです。イエスが招いてくださる食卓とはこのような罪人の集まりの食卓です。わたしたちは、そのような食卓を囲んで主に礼拝しています。病院に病気の人が多いことを驚く人は、病院が何であるかを知らない人でしょう。教会に罪人がいることを驚く人は、主の教会が何であるかを知らない人です。わたしたちは、みんな主の憐れみを必要としています。だからこうして主のもとに集まって祈りをささげています。

(沈黙)

さて、一つの興味深いこと取り上げてみましょう。マタイは、自分が書いた福音書の中で、自分のことを「収税所に座っているマタイという人」と書いています。マタイ福音書の9章は、さまざまな奇跡物語が記されているところです。その奇跡の物語のところに、自分がイエスから招かれて弟子になったということを書いています。イギリスの説教家のスポルジョンという人が、ここでマタイは、「自分のような大罪人が、イエスに従う者となった、これこそが大奇跡である」と考えたので、ここに入れたと言っています。マタイにしてみれば、数々の奇跡物語を書きながら、どうしても、ここに自分の身に起こった奇跡を登場させたくなったのかもしれません。マタイは、立派なことをしているところを見られてイエスが呼ばれたのではなく、徴税人としての仕事をしているところですから、誰かからお金を取り立てているところだったかもしれません。人が避けてとおるようなところに、イエスの方から出向いて来られ、自分が必要だと招かれました。マタイの一生を変えたイエスとの出会い、これこそ彼にとって大きな奇跡だと言えると思います。

マタイはキリストが昇天された後、紀元後70年ごろ、エチオピアやペルシャで宣教を行いますが、ドミティアヌス帝統治下で石責め、火刑の後、斬首され殉教したと言われています。


マタイの召命・カラバッジョ
カラバッジョ「聖マタイの召命」


この名画は、イタリアの画家、カラバッジョが1599年に描いた「聖マタイの召命」の作品です。この絵を見ながら、ご一緒にマタイの召命をイメージしていきたいと思います。

この絵は、ローマにある、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会の礼拝堂にある「聖マタイの生涯」を描いた三枚の絵の中の一つです。400年以上たった今も、この礼拝堂に当時のまま残されています。

カラバッジョに絵を依頼したのはフランス人のマテウ・コンテレー枢機卿でした。枢機卿の名前である使徒マタイを題材にした絵画が描かれることになり、当初、別の画家に製作を依頼していましたが、その画家が多忙でできなくなったため、カラバッジョが引き受けることになりました。カラバッジョが初めて教会の中で描いた大作「聖マタイの召命」は、大きな反響を呼び、数々の教会や有力者たちから注文が相次ぎ、一躍有名になりました。

カラバッジョのこの作品は、イエスが差し招いている収税人マタイがどの人物なのか、はっきりと判別できなく、 以前は左から三番目の髭をはやした人物がマタイその人であろうと予測されていました。その人物は、一見、自分を指さして、「わたしですか?」と言っているようにも見えます。しかしこのしぐさは、自分をさしているのではなく、左端の若者を示しているという見方が近年では有力になりました。金貨を勘定し、うつむいている若者に向かって、イエスが指をさしています。絵の中で、このマタイは、イエスに全く気づいていないかのようにも見えます。しかし、次の瞬間、「わたしに従いなさい」とのイエスの招きに、直ちに目覚め、立ち上がってイエスに従ってその場を去っていくマタイの姿がイメージできるです。

カラバッジョの本名は、ミケランジェロ・メリージという名前で、1571年ミラノで三人兄弟の長男として生まれました。両親は、ミラノ郊外にあるカラバッジョ村の住人で、父のフェルモ・メリージはカラバッジョ公爵家の執事でした。父親は、1577年に流行したペストで亡くなりました。その後、家族は故郷に戻り、カラバッジョも幼少から青年期をカラバッジョ村で過ごしたために、カラバッジョが通称となり親しまれました。母親が亡くなってからは、画家ティツィアーノの弟子であるシモーネ・ペテルツァーノの工房に入り、20歳前後まで修行したと言われています。

ローマに移ってから、才能を見いだされ、画家として一本立ちして彼の独創性が認められことになります。しかし、彼は、激しい性格の持ち主で、アトリエを離れれば腰に剣をもって、酒場でしばしば騒動を引き起こしました。1606年決闘相手を殺してしまったカラバッジョは、ローマを逃げ出し、さまようことになります。ローマを離れ、ナポリに工房をもった彼に、注文が殺到し数ヶ月で多くの作品を完成しています。その後マルタ島へ移動しますが、暴力沙汰を起こし投獄されてしまいます。脱獄に成功したカラバッジョは、シチリアへ逃れ、再びナポリに戻っています。

ローマにいるカラバッジョの知人たちは、彼への恩赦を求めて懸命に活動し、ようやく手に入れます。ナポリのカラバッジョのもとに使者が送られ、カラバッジョは、船にのってローマに向かう途中、病に倒れ、トスカーナ地方のポルト・エルコーレで38歳の生涯を閉じました。

ハガキを見ながら、しばらく沈黙のうちにとどまりましょう。

お祈りの始めに9月21日は、「国際平和の日」であることを説明しました。聖霊にこの世界の現実をゆだね、平和な世界に変えてくださるよう祈りましょう。

  わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

  聖霊よ、あなたはわたしたちを抱いてくださいます
  あなたの現存は、この世界に輝き、世界を変える炎です
  あなたはわたしたちを抱いてくださいます
  そして、悪の現実を見つめ、向き合うために、わたしたちを招かれます
  あなたは、わたしたちを抱いてくださいます
  悪の現実に向き合いながら、驚くべき善の神秘を生きるように、わたしたちを招かれます
  あなたはわたしたちを抱いてくださいます
  非暴力を生きようとするわたしたちとともにおとどまりください
  あなたはわたしたちを抱いてくださいます
  戦争の軛を解き放ち、戦場から愛の住処へと歩む力を与えてください
  あなたはわたしたちを抱いてくださいます
  あなたに感謝し、おたがいに感謝します

  わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
                                「国際平和の日の祈り」のより

これで、今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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