アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2011年12月3日
今年も12月を迎えました。カトリック教会の暦では、待降節と呼ばれる救い主、キリストの誕生を待ち望む準備の期間となり、11月27日から、新しい一年が始まりました。
祭壇に向かって左にある赤い四本のローソクは、待降節の間の日曜日、つまり主の日が4回あることを示しています。一週間ごとに灯されるローソクが、一本ずつ増えていくとともに、主キリストがだんだん近づいておられることを意味しています。明日は、待降節第2主日ですから、ローソクが2本灯されています。ローソクを灯すこの風習は、ドイツで始まったと言われています。
新約聖書のヨハネ福音書の始めに「光は暗闇の中で輝いている」と語られています。光は闇の中にこそ輝きます。夜空が美しいのは、暗い闇の中で、星が光り輝くからです。人間はだれでも、心の中に闇を抱いています。言葉や行いによって人を傷つけてしまった悔い、挫折感や孤独感など、心の闇は暗くて、重たくて、悲しいものです。しかし、この闇が深ければ深いほど、「まことの光」はその人の心に輝きを増します。
2011年、日本に住むわたしたちは、東日本大震災という大きな苦しみを体験しました。苦悩の中、光を求めて力強く生きる被災者の方々の心の奥に、幼子イエスの誕生をとおして、希望の光を見いだすことができますように、今年最後の「アレオパゴスの祈り」に願いを込めて祈りましょう。
この一年間を振り返ってみて、お一人おひとりにとっては、さまざまな出来事が思い出されるでしょう。悩んだこと、喜んだこと、感謝したこと、迷ったこと、疲れ果てたこと、神さまが助けてくださったことなど、神さまはわたしたちのすべてをご存知で導いてくださいました。
これらすべての祈りを、ローソクに託してささげましょう。
今、わたしたちがささげた祭壇の上のすべてのローソクを見つめましょう。一人ひとりの小さな祈りを神さまが受け取ってくださいますように。また、今日は、祈りたくても、ここに参加することができなかった人をも心に留めて祈りましょう。
紀元前1000年ころ、イスラエルには、ダビデという王様が支配していました。「このダビデの子孫から救い主が生まれるであろう」という預言のもとに、希望をかけてくらしていました。しかし、何年も何年も苦しい歴史が続き、外国の勢力が次から次へと押し寄せて、ついに神殿は破壊され、祖国から追放されることも体験しました。イスラエルの人々は、試練の中でも、救い主が来られるという希望を世代から世代へと伝え、主の訪れを待ち望みました。そして、ついにそのときが来ました。
旧約聖書のイザヤの預言を聞きましょう。
イザヤ書 9.1~2、5
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
ひとりのみどりごが、わたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
長い長いイスラエルの歴史の中で、人々の描き続けてきた救い主のイメージは、すべての民を支配する強い王様、偉大な力に満ちた権力者のはずでした。しかし、救い主のしるしとして与えられたのは、王の宮殿でなく、貧しい馬小屋の飼い葉桶の中に生まれた幼子でした。神の使いの天使たちが、真夜中に羊飼いたちに告げたメッセージが書かれている、ルカ福音書が伝えるイエスの誕生の物語を聞きましょう。
ルカによる福音 2.1~16
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、はじめての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの家で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
“いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。”
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、“「さぁ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
『カトリック典礼聖歌集』 p.308「聞かせてください」 ① ② ③
ルカ福音書が伝えるイエスの誕生の物語は、非常に静かなひびきを持っています。神がそのひとり子をこの世に送られるのに、ひっそりとした真夜中を選ばれました。全世界を救うという歴史の中でもっとも大切な神のわざが始まった、救いの訪れをいちばん先に告げられたのは、羊飼いたちでした。彼らは、当時の社会の中で、軽蔑(けいべつ)され、律法を守ることができない者とされ、それゆえ罪人とみなされていた人たちでした。羊飼いたちは、丘の上で羊の群れの番をしているとき、救い主の誕生を知らせる天使たちに出会いました。そして、彼らは、自分の目で確かめようとベツレヘムへと向かったのです。
聖書が描いているクリスマスの情景は、人間的な目から見るならば、みじめな貧しい飼い葉桶に、人目に立たない弱々しい幼子の誕生として伝えられています。 「彼らが、ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、はじめての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」 とあります。「場所がない」とは、とても寂しく辛いことです。"わたしには居るところがない""ぼくには場所がない"という子どもたち、会社でリストラにあって仕事を失ってしまった人たち、住む家がない人たち、戦争や紛争で国を追われ逃げまどう人たち。わたしたちも日常生活の中でたびたび、"自分の場所がない"と感じて悲しくなってしまうこともあると思います。
今夜は、イエスのことを考えてみましょう。宿屋に場所がなくて、イエスは生まれるとすぐに、飼い葉桶に寝かされました。家畜のための飼い葉桶の中に神さまがいらっしゃるなんて、だれが想像できたでしょうか。
今、世界中で、クリスマスになると教会で飾られる馬小屋は、場所がなくて仕方なくイエスを置いたその飼い葉桶です。聖書は、"これがあなたがたへのしるしである"と語っています。居場所がない一人として生まれたイエスは、目に見えるしるしとなってくださいました。イエスは、わたしたちが居場所がないと感じて寂しく辛い思いをするとき、飼い葉桶から、わたしたちと一緒にいてくださり、勇気と力を与えてくださるのです。
(沈黙)
クリスマスの出来事は、二千年も前にイスラエルの国のベトレヘムという町で起こったことです。確かに、時代と場所を遠く隔てたわたしたちには、信じ難しいことかもしれません。しかし、神の子イエスが生まれた最初のクリスマスの晩、そこに居合わせた人々にとっても不思議なことでした。救い主は、母マリアに抱かれ、マリアから世話をしてもらわなければ生きていけない幼子としてこの世に来られました。神さまは、マリアやヨセフがそうしたように、自分の救いの計画に人間が協力してくれるようにと求められます。
このクリスマスの神秘は、今もこの世界に働いておられる神さまの不思議さを物語っていると思います。忙しいわたしたちは、ゆっくり神さまのことを考えたり見つめたりする時間がとれません。神さまのほうに行けないわたしたちのところに、神さまのほうからきてくださったのです。
子どもたちにとって、クリスマス・イヴにプレゼントを運んでくれる、サンタクロースは、現代でもとても大切な存在となっています。特別に親しまれているこのサンタクロースのモデルとなったのは、トルコの聖人、聖ニコラウスでした。聖ニコラウスについてご紹介しましょう。
聖ニコラウスは、ギリシア南部の港町パトラスに、裕福で敬虔(けいけん)な信仰の厚い両親のもとに生まれました。両親が亡くなり、莫大な財産がニコラウスのものになりました。 彼は、この遺産を神さまのために使おうと考え、貧しい人々に分け与えました。ニコラウスは、のちにトルコ南部にあるエーゲ海に面したミュラの司教になりました。
聖ニコラウスについては、いくつかの語り継がれている伝説が残っています。その有名なお話をいくつかご紹介しましょう。
ニコラウスがまだ司祭になる前のことです。ニコラウスの近所に3人の娘のいる家族が 父親とともに住んでいました。たいへん貧しく、上の娘は結婚したいと思っていましたが 持参金がありませんでした。それどころか貧しさのあまり、彼女は生計を助けるために売られることになっていました。そのことを知ったニコラウスは、その夜、その家の煙突から こっそり金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった 靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、結婚することができたのです。
ニコラウスは、同じことを2番目の娘のときも繰り返し、その家庭を救いました。末娘のとき、父親は、もしかしたらまた、だれ金貨を放り込んでくれるかも しれないと考えました。「このように親切にしてくれる天使はだれだろう。その人に会って、必ずお礼を言わなければ」と考え、夜中ずっと寝ないで見張っていました。そして、ついに金貨を投げ入れようとしているニコラウスを見つけました。それが近所の若者であったと知り驚き、感謝しました。
しかし彼はだれにもこのことは言わないようにと言い、立ち去りました。
クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って 贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたと言われています。
もう一つのエピソードです。これも、ニコラウスが生きていたときのお話です。
航海中の船が突然の嵐に遭遇しました。その船に乗っていた、ニコラウスの偉大な力を聞いていた水夫たちは、「ニコラウス様、あなたについての噂が本当でしたら、わたしたちをお助けください」と叫びました。するとどうでしょう、ニコラウスらしい人が現れ、船の帆やロープを操って彼らを助けたのです。やがて嵐がやみ、航海を続けることができました。
上陸して、水夫たちは、教会へ感謝の祈りをしに行きました。そのときです。水夫たちは、その教会にいた人が会ったこともない人なのに、嵐のときに現れたコラウスだと一目で分かったのだそうです。このことから、ニコラウスは船員の守護聖人にもなっています。船の先にニコラウス像を飾った船もたくさんあったそうです。
最後のお話です。
ある年のこと、ミュラの町が飢饉に襲われ、市民たちは食べるものがなくなって苦しんでいました。そこへ偶然にもエジプトから小麦を積んで皇帝のところに運んでいく船がミュラの港に立ち寄ったのです。市民たちは、食べ物を分けてくれるように船長に頼みましたが、船長は、少しでも分けると、自分が皇帝から厳しい罰を受けることになるからと言って断りました。これを聞いて市民たちは、司教のニコラウスに船長と交渉してもらうようにしました。ニコラウス司教は、船長とかけあって分けてもらうことに成功しました。そして、市民たちは、救われました。不思議なことに、このとき船に残っている小麦を調べたところ、少しも減っていなかったということです。
聖ニコラウスについての伝説は、まだこの他にたくさん伝えられています。彼は、つねに弱い者、貧しい者、子どもたちの味方となり、施しをさずけ、人々を不幸から救いました。
祈りましょう。
光の源である父よ、御ひとり子の降誕の祝いを前にして祈ります。まことの光キリストによって、ここに集うわたしたちの心の闇を照らしてください。喜びのうちに主の降誕を迎え、今年も救いの神秘をともに祝うことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
これで今年の「アレオパゴスの祈り」を終わります。次回「アレオパゴスの祈り」は、来年の2月4日になります。1月はお休みです。みなさま、よいクリスマスと新年をお迎えください。一年間ありがとうございました。
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