アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2012年2月4日
詩編 113.1~9
主の僕らよ、主に賛美せよ。主の御名を賛美せよ。
今よりとこしえに、主の御名がたたえられるように。
日の昇るところから日の沈むところまで、主の御名が賛美されるように。
主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。
わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き、
なお、低く下って天と地を御覧になる。弱い者を塵の中から起こし、
乏しい者を芥の中から高く上げ、自由な人々の列に、
民の自由な人々の列に返してくださる。
子のない女を家に返し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。
(沈黙)
詩編 145.1~9
わたしの王、神よ、あなたをあがめ世々限りなく御名をたたえます。
絶えることなくあなたをたたえ、世々限りなく御名を賛美します。
大いなる主、限りなく賛美される主、大きな業は究めることもできません。
人々が、代々に御業をほめたたえ、力強い御業を告げ知らせますように。
あなたの輝き、栄光と威光、驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業をわたしは数え上げます。
人々が深い御恵みを語り継いで記念とし、救いの御業を喜び歌いますように。
主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
主は、すべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。
今年、はじめてのアレオパゴスの祈りは、明日2月5日に祝う、日本26聖人殉教者をご紹介しながら祈っていきたいと思います。彼らは、1597年2月5日、厳しい寒さの中、長崎の西坂で十字架につけられ、最後までともに祈り、聖歌を歌いながら殉教を遂げました。自分の命を賭けてキリストへの純粋な愛を証しし、死と生きる意味を教えてくれた殉教者たちの生き方をご一緒にたどっていきましょう。
いつものように、後ろにローソクを準備しました。一人ひとりの願いとともに、信仰のために迫害されている人々のことを思いながら今晩の祈りを捧げましょう。後ろでローソクを受け取った方から、祭壇に進みハガキをお取りになって席にお戻りください。
マタイによる福音16.24~25
それから弟子たちに言われた。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」
マタイによる福音10.22
「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は、救われる。
それでは、これから日本26聖人殉教者が生きた時代背景を含めてご紹介いたします。命を賭けて、永遠の真理を証しした彼らのメッセージをご一緒に読み取っていきましょう。
1597年2月5日、長崎はキリスト教を信じた人々にとって、悲しみの町となりました。それは、26聖人が殺された日だからです。キリスト教を日本にはじめて伝えたのは1549年、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルでした。ザビエルは、2年3ヶ月で日本を去りましたが、この後、たくさんの宣教師が日本を訪れ、キリスト教やヨーロッパの進んだ学問を伝え、キリスト教の信者は次第にふえていきました。はじめのうち織田信長、豊臣秀吉は、このことを大いなる歓迎していましたが、ある事件がきっかけになってキリスト教を禁止しました。
その事件とは、ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから47年後の1596年のことです。フィリピンからメキシコへ向かっていたスペインの船、サン・フェリぺ号が、日本に近い海で嵐に遭い、土佐の浦戸の港に流れつきました。その船に乗っていたスペイン人は、自分たちを迎えた日本の代表に向かって、こう言ったのです。「われらは、世界最強の軍隊を持つスペイン人だ。キリスト教を伝え、人々が信じたころに軍隊を送ってその国をせめ、征服し、領土にしてきた。日本もおとなしくしなければ、スペイン国王の領土となるぞ。」と。もちろんキリスト教は、この話のために伝えられたのではありません。しかし、この言葉を聞いた豊臣秀吉は激怒し、サン・フェリペ号の莫大な積み荷を没収したのです。そして、京都と大阪にいる宣教師と信者たちを、ただちに処刑するように命じました。この事件は、サン・フェリペ号事件と呼ばれています。
京都から長崎まで1,000キロを一か月かけて歩いた
この命令によって捕らえられた、ペトロ・バウチスタ神父を含む24人のキリシタンたちは、京都で鼻と耳を削がれ、大阪・堺で引き回され、約880キロ離れた長崎で処刑されるために出発しました。途中、下関から、船で九州に渡る際、ペトロ・助四郎とフランシスコ・吉の2人が一行に加わります。この2人は、都からずっと一行を助けながらついてきたキリシタンでした。キリスト教には、殉教といって、キリストのために迫害されて死ぬことで永遠の命を得ることができる、という信仰があります。2人は永遠の命を信じ、喜んでこの旅に加わりました。
こうして、一行は26人になりました。首になわをかけられ、両手をしばられたままの姿で広島、下関、唐津を通り2月4日に彼杵(そのぎ)に着きました。ここから小舟に乗って大村湾を渡り、時津に着いたのは夜の11時を過ぎたころでした。雪の降る、寒さの厳しい夜でした。30日間、満足に食べものも与えられず、飢えと寒さと疲労とに耐えながら、26人は舟の中で最後の夜をすごしました。そして、2月5日の朝早く、西坂の処刑場へと向かいました。
「清い心で」① ② ③
こうして、12歳の少年から64歳の年長者まで全員が誰一人神さまを信じるのをやめる人もなく、最後まで歩き続け、西坂の丘に着きました。それぞれ自分の十字架に近づいていきました。この日は、誰も西坂に来てはいけないと言う命令が出ていましたが、4,000人近くの人が、彼らを見にやって来ました。その場にいた人たちの叫び声、すすり泣き、うめき声があふれていました。12歳で最年少のルドビコ・茨木は、自分の十字架を役人にたずね、9番目に置かれた一番小さな十字架を指されると、まるで大好きなおもちゃでもあるかのように、その十字架を抱きしめました。最初にバウチスタ神父の十字架、そして次々と十字架が立てられていきました。十字架の丘には、祈りの声と、賛美の歌が流れました。
「日本26聖人殉教図」長谷川路可
パウロ三木は、十字架の上から残る力を振りしぼって力強く、喜びにあふれて最後の説教を行いました。「わたしは、日本人で、イエズス会の修道士です。わたしは何の罪も犯していません。ただ、われらの主、イエス・キリストの教えを説いた、それだけで殺されるのです。わたしはこの理由で処刑されることをこよなく喜び、わが主の大いなる恵みとして感謝します。今、死を前にして、わたしがどうして皆さんをあざむくでしょうか。信じてください。人の救いの道は、キリスト教以外にないことを、わたしは断言します。その教えに従って、わたしは太閤さまをはじめ、お役人さまもゆるします。」
最後に処刑されたのはバウチスタ神父でした。25人の殉教を見て、神父が信仰を捨てるのではないかと考えた役人たちが、彼を最後にしたのでした。役人たちの責任者であった寺沢半三郎は、処刑の後、肩を落とし、涙を流しながら丘を降りていきました。遺体は八十日間、さらしものにされました。その後、十字架から下ろされたとき、15歳の少年トマス小崎が書いた母への手紙が一緒に処刑された父ミゲルの懐から血まみれになって発見されました。この感動的な手紙は、信仰を持っていない人々にとっても、何かを語りかけています。
トマス小崎が綴った母への手紙は、現在、原文の所在不明で、外国語に訳されたものが再度、日本語に訳されて残されています。
その手紙の一部をご紹介しましょう。
「神の御助けにより、この手紙をしたためます。神父とわたしたち24名は、長崎で処刑されるため、ここまでまいりました。わたしと父上のことについてはご安心くださいますように。天国で近いうちにお会いできると思います。たとえ神父たちがいなくても、臨終には熱心に罪を痛悔し、イエズス・キリストから受けた数多くの御恵みを感謝なされば、救われます。この世ははかないものですから天国の永遠の幸せを失わぬよう、努めてくださいますように。人からどんなに迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。2人の弟マンシオとフェリペを、未信者の手に渡さないよう、お願いします。わたしは母上たちのために主にお祈りいたします。母上からわたしの知っている人々によろしく申し上げてください。重ねて申し上げます。罪を痛悔するのを忘れぬよう、なぜならこれだけが大切なことですから。アダムは神に背いて罪を犯しましたが、痛悔と償いによって救われました。」
『長崎への道』結城了悟著
(沈黙)
「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ それは一粒のまま残る。しかし、死ねば豊かな実を結ぶ。」(ヨハネ12.24)
『カトリック典礼聖歌集』No.321「一粒の麦が落ちて」① ②
秀吉のときに始まったキリスト教への迫害は、その後、鎖国が終わるまで、西坂の丘で600人を超えるキリスト教信者の尊い血が流されました。 そして、265年を経た1862年6月8日、教皇ピオ9世によって26人の殉教者は、聖人の列に加えられました。3年後、彼らに捧げて、大浦天主堂が長崎の町に建てられました。今から400年前に、わたしたちと同じ日本人が十字架を恵みとしてとらえ、喜びを持って信仰をまっとうしたという証言は、わたしたちに大きな励ましを与えてくれます。しかし、イエスが彼らに力を与え、彼らを支えていなければ、弱い人間である彼らはその使命を果たすことはできなかったでしょう。イエスは、十字架を担って先に進んでいかれます。26聖人をはじめ、すべての殉教者の歴史で一番よく耳にするのは喜びと讃歌、人間愛を表す詩編です。「すべての民よ 神をほめたたえよ。」
日本26聖人殉教者に捧げられている教会は、イタリアのチヴィタヴェッキア教会、ブラジル、サンパウロ州にある王であるキリスト教会、長崎の大浦天主堂、常崎教会、西坂教会、東京の本所教会、岐阜県の美濃加茂教会があります。
祈りましょう。
いつくしみ深い神よ、あなたは、聖フランシスコ・ザビエルの働きをとおして、日本の地に福音の種を蒔いてくださいました。その種は、信仰と愛を生きる共同体として大きく成長し、激しい迫害の中でも、多くの信徒、司祭が、命を賭け、死と生きる意味を教えてくれました。
400年前、神の恵みによってこの世の衣を脱ぎ捨て、キリストをまとった彼らの生き方は、古びることなく、時代を超えて輝き続けています。
現代社会の中で生きるわたしたちにも、どうぞ彼らと同じあなたへの信仰を持って、人々に対する愛を貫き、キリストの証人として生きることができるよう、力と勇気をお与えください。そして、いつの日か、天の国で、ともにあなたを賛美する日がきますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
これで「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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