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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2012年8月4日


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  主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
  座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
  歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
  わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
  前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
  その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。

  神よ、わたしを究め わたしの心を知ってください。
  わたしを試し、悩みを知ってください。
  御覧ください わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
  どうか、わたしを とこしえの道に導いてください。
  (詩編139.1~6、23~24)

日本のカトリック教会は、毎年8月、平和のために祈りをささげます。特に、8月6日の広島原爆投下の日から、9日の長崎原爆投下の日を経て、15日の太平洋戦争敗戦にいたる10日間を『平和旬間』と定め「平和のために祈り、働く使命」を新たにします。

『平和旬間』の由来は、1981年、時の教皇ヨハネ・パウロ2世が、広島に来られたとき、「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と 訴えられたことにあります。この広島での平和アピールにこたえて日本の司教団は『平和旬間』を定め、平和のために祈り、平和について学び、行動する期間と定めました。8月15日が近づくと、「戦争の記憶や体験」がさまざまな側面から語られます。

東京教区では、今年も、平和旬間の期間中、あさっての8月6日から15日まで、参加者によって途切れることなく祈りをつないでゆく「祈りのリレー」が行われます。その他、「平和巡礼ウォーク」、「平和を願うミサ」、「講演会」など平和のための企画が数多く計画されています。

今晩の「アレオパゴスの祈り」は、平和の源であるキリストが、ここで祈るわたしたちの平和への願いを、聞き入れ、わたしたち自身も平和のために働く道具となれるよう祈りましょう。

それでは、後ろのローソクを受け取って、祭壇にささげましょう。ハガキをお取りになって席へお戻りください。

旧約聖書のイザヤ預言者は、はっきりと語っています。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものはとこしえに安らかな信頼である」(イザヤ32.17)と。イザヤ預言者は、一人ひとりの正義からすべての人の平和が生まれることをわたしたちに教えてくれます。神の平和とは、神が望まれる平和とは、壊れているつながりを結びなおすこと。神の正義とは、人が縛られている鎖から人を解放することだと言えるでしょう。結びなおすこと、そして解放すること。これこそが神の慈しみに基づいた働きだと思います。

新約聖書のマタイ福音書の中で、イエスは「平和を実現する人は幸いである。彼らは、神の子と呼ばれる。義のために迫害される人は幸いである。天の国はその人のものである」(マタイ5.9~10)と悲しみを身に負った群衆の中に、平和のために勇敢に立ち上がる人たちがいることを山の上で語り励まされました。

ヨハネ福音書の中では、『わたしの平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたに与える。わたしはこの世が与えるように与えるのではない』(ヨハネ14.27)とイエスの平和について語られています。さらに、復活されたイエスは神の限りない愛を、『あなたがたに平和があるように』という言葉で、最初に、弟子たちへ伝えられます。イエスは、自分を十字架につけ、神と敵対する人間全体に、神からの和解を伝えました。

復活したイエスがもたらした平和とはいったいどのようなものだったのでしょうか。復活されたイエスのことを語っているヨハネ福音書の朗読を聞きましょう。

ヨハネによる福音書 20.19~29

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦さないまま残る。』
12人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、他の弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
さて、8日の後、弟子たちは、また家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。

(沈黙)

「あなたがたに平和があるように」
「あなたがたに平和があるように」モザイク Fr.Marko Ivan Rupnik(S.J.)

「平和」という言葉を使うとき、人によってそのイメージが違っていることがあります。戦争がないことが平和であると思う人もあるでしょう。市民の大多数が平穏無事であることを平和のしるしと考える人もいるでしょう。あるいは、社会の制度が安定していることを平和と見なす人や、家庭での団欒こそ、平和の基礎であると考える人もいます。そんな中で、平和への実現の取り組みも、平和をどのようにとらえるかによって違ってきます。マタイ福音書にある『平和を実現する人は幸いである』という祝福の言葉は、いったい、どのような人々に向かって告げられたのでしょうか。

聖書が教える「平和」は、このような世間一般で考えられている「平和」とは少しおもむきが違っているのがわかります。「平和」と訳されているヘブライ語の"シャローム"は、ある種の"完全性"を示す言葉で、"傷ついた部分のない状態"を意味します。社会全体を大きくとらえて"おおむねどうであるか"というようなことで判断できるようなものではなく、人々の間で最も弱い立場にある人が傷ついたままになっていないかどうかという視点から判断される連帯に根ざした平和です。"シャローム"、それは、神の国として、すべての人々の解放と喜びの状態であると言えるでしょう。

イエスは、『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』(ヨハネ14.27) と言われ、神がわたしたちに実現させようとする平和が、何か特別な性格をもったものであることを示しています。それは、「わたしの平和」という言葉が強調され、また、「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」という言葉からも明らかです。

イエスが復活された後、「あなたがたに平和があるように」と言って、弟子たちの前に現れ、平和を告げられたとき、ご自分の受難の印である傷跡を示されました。それから、8日の後、再び弟子たちに平和を告げられたときも、同じようにご自分の傷跡を示されます。神が望まれる平和は、傷ついた部分、傷によって表される、抑圧と差別の被害者の側から訴え、声を出しても、世の不正によって操作され、かき消されてしまう現実への挑戦と言えるのではないでしょうか。

正義を求めていくとき、ほんものの平和は実現していきます。平和を実現するためには、どうしても正義が必要になってきます。

救いの歴史が目指すところは、この地上に平和を実現するということでした。このことは、旧約、新約聖書全体を通して示されています。救いの歴史をさまざまな形で預言書や詩編において、示されているのはだれからも支配されることのない自由と解放に満ちた「平和」です。それは、イエスが受難と死と復活という「過ぎ越し」の後に、その実りとしてもたらされた「平和」でした。もうだれからも奪われることのない、死を越えたい永遠の命に導く平和。「あなたがたに平和があるように」と言う言葉が繰り返されます。「平和」は、神の業の完成を表す祝福された言葉と言えるでしょう。

今、聞いたことにしばらくとどまり、心に残ったことを味わってみましょう。

東京教区の岡田大司教は、「4つの平和と和解」ということを言っておられます。4つの平和とは「神との平和」「隣人との平和」「自然との平和」「自分自身との平和」です。キリストがまいた真の平和の種は、この4つの平和が実現することによって、人々の心を満たし、社会に正義をもたらす一歩となるでしょう。

「4つの平和」の実現のために、共同祈願の形で祈りたいと思います。それぞれの祈りの後に、先ほど練習しました"キリストの平和がわたしたちの心のすみずみにまで、ゆきわたりますように"と歌いましょう。

①「神との平和」
いつくしみ深い神よ、あなたの霊をおくってわたしたちの心を開いてください。どんな状態にあっても、あなたの言葉に耳を傾けていけますように。決してあきらめることなく、あなたへの希望のうちに忍耐をもって、御子キリストがまいてくださった平和の種を心に深く根づかせていくことができますように。

『祈りの歌を風にのせ』p.20「キリストの平和」①

②「隣人との平和」
すべての人を救いへと導かれる神よ、多くの不正や不平等、暴力や対立の中で傷つき苦しんでいる兄弟姉妹を助けてください。今、シリアで起きている暴動を一日も早く収束させてください。また、さまざまな理由で、多くの子どもたちが、差別や暴力、いじめや虐待を受け、家庭や学校で居場所がなく追い詰められています。これらの子どもたちが、一人も除外されることなく、幸せになる権利が保障されますように。これからの未来を背負っていく、子どもたちの幸せのために、取り組みを強めていけますように。

『祈りの歌を風にのせ』p.20「キリストの平和」①

③「自然との平和」
平和の源である主よ、わたしたちは、自分たちの豊かさ、快適さを追い求めるあまり、自然を破壊し、環境をよごしてしまいました。地球の温暖化と環境破壊、原発の問題、世界的な異常気象による度重なる自然災害など、危機に直面しているわたしたちを、あわれんでください。これらの深刻な状況は、人間のエゴによって作り出されたものが多くあります。わたしたちも便利な生活だけを追い求めず、地球にやさしい生活を心がけていけるように、今、少しでもみんなで、できることを探し、勇気をもって行動をしていくことができますように。あなたが造られた美しい地球を守り、後の時代の人たちに渡していけますように。

『祈りの歌を風にのせ』p.20「キリストの平和」①

④「自分自身との平和」
この地上に真の平和を望んでおられる神よ、わたしたちが、いつも現実に目を向け、自分自身に向き合う勇気をもつことができるよう力を与えてください。わたしたち一人ひとりは、平和を熱望しているにもかかわらず、自分中心になりがちな弱さをもって、無意識のうちに行動してしまっています。このような矛盾を生きている自分に気づかせてください。自分から出て、平和のために働く道具となれますように。

『祈りの歌を風にのせ』p.20「キリストの平和」①

わたしたちが神の望まれる平和に一歩でも近づき実現することができるよう祈りましょう。

「清い心で」① ② ⑤

それでは、最後に「使徒パウロのローマの信徒への手紙」を聞きましょう。

ローマの信徒への手紙 14.16~19

ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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