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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2013年 4月6日


花



今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。

主の右の手は高く上がり、主の右の手は御力を示す。
死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう。

家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。
これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
                 (詩編 118.24、1~2、16~17、22~24)


今年は、3月31日に復活祭を迎え、カトリック教会は、新しい教皇フランシスコ   の誕生と新しく洗礼を受けた兄弟姉妹とともに、主のご復活のよろこびをたたえて祝っています。復活は、キリスト教の中心となる出来事です。キリスト教の信仰は、復活を信じることで、イエスの復活がなければ、キリスト教は存在しません。イエスの復活は、新約聖書の四つの福音書全部に書かれていますが、実際にその瞬間に起こったことを見た人は、だれもいません。イエスの復活が事実であったことは、復活したイエスに出会った弟子たちの証言によります。今晩の「アレオパゴスの祈り」は、イエスの一番弟子であるペトロが、迫害地ローマから逃げていく途中、復活したイエスと出会い、ペトロは再びローマへと戻って、殉教したという伝説をもとに祈っていきたいと思います。

イエスの復活のよろこびをともに祝うため、わたしたちをここに集めてくださった神さまに、感謝をもって、ローソクを祭壇にささげましょう。祭壇の上に置いてあるハガキをお取りになって席へお戻りください。

イエスは弟子たちに言われます。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイの福音書16:24)また、ペトロに対して、ヨハネ福音書に、次のようなことばが述べられています。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところに行っていた。しかし、年を取りると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところに連れて行かれる。 」(ヨハネ21.18)イエスの預言どおり、ペトロの最後は、十字架にかけられ殉教することになります。

復活したイエスとペトロが、アッピア街道で出会ったと伝えられている物語をご紹介しましょう。

時代は、紀元60年ころのこと。ローマ皇帝ネロが支配していた時代です。そのころのローマ帝国は、ほとんど全ヨーロッパから、地中海、黒海を囲む地方を領土とする、世界第一の大帝国でした。キリスト教徒は、ローマの伝統的な神々を礼拝することを拒否し、ローマ皇帝を神として認めることをしなかったため、帝国の根本を危うくするものとして敵視され、弾圧され、キリスト教への迫害が一層激しいものとなっていきました。

紀元64年に、ローマで大火が起こり、市の70%が焼けてしまうという惨事がありました。人々の間では 「皇帝ネロが放火させた」という噂が立ったので、この風評をもみ消そうとして、ネロはキリスト教徒にその罪をなすりつけ迫害しました。偽りのデマを根拠にして、大勢のキリスト教徒を捕らえ、闘技場に引き出して、ライオンに噛み殺させたり、火あぶりの刑や燃えやすいように仕組まれた十字架にかけて、夜の灯(ともしび)代わりに燃やされました。あらゆる残虐な方法で殺害し、ローマ市民に見物させるなど、想像するだけでも、目を背けたくなるようなことをしました。

ペトロは迫害の激化したローマから逃れようとアッピア街道を急いでいました。そのときです。人気(ひとけ)のない街道のかなたから、光のようなものが音もなく近づいてくるのが見えました。それは、イエスでした。 彼が、「主よ、どこに行かれるのですか?」と問うと、イエスは、 「あなたがわたしの民を捨てるなら、わたしはローマに行ってもう一度十字架にかかろう。」と答えられました。

ペトロは、とっさに思い出しました。“あのときと同じだ。師はまた自分の身代わりとして死のうとしている・・・・・。”ペトロは泣きます。そして、殉教を覚悟してローマへ戻ります。ローマに戻ったペトロは、迫害におののく信者たちを慰め励ますことに、全力を尽くしました。そして、主イエスと同じ姿では、畏れ多いからと自ら希望して、逆さはりつけにされたと伝えられています。

ポーランドの文豪、ヘンリック・シェンキヴィッチによる有名な歴史小説『クウォ・ヴァディス』が1890年に出版され、このシェンキヴィッチによる『クウォ・ヴァディス』の中に、復活したキリストとペトロの出会いが描かれています。

当時のキリスト教徒たちが、捕らえられているとき、ペトロは、ローマ皇帝ネロの迫害を逃れて、若きクリスチャンのナザリウスともに、迫害の火の燃えさかるローマに見切りをつけ、ローマを離れようとして、旅をしていました。その途中で、復活のイエス・キリストに出会いました。まばゆいばかりの光の中に、だれが、歩いて近づいてきます。確かに、復活の主イエスでした。ペトロは、地面にひざまずき、「おお、主よ。わたしの主よ。」と言って祈っていました。

クウォ・ヴァディス ドミネ


ペトロの顔は、涙で、ぐしゃぐしゃに濡れ、涙にむせびながら、こう言いました。「クウォ・ヴァディス・ドミネ?(主よ、どちらへ行かれるのでしょうか?)」 すると、愛するイエスの声がしました。「ペトロよ、あなたが、ローマで信仰の良い戦いをしているわたしのしもべを見捨てるなら、わたしがローマへ行き、もう一度、十字架にかかるつもりだ。」と。ナザリウスには、このイエスの声は聞こえなかったようです。

ペトロは、だれの足に接吻するかのように頭を地につけ、顔を伏せてしまいました。長い沈黙が続き、ペトロは身動きもせず、地面にひれ伏したままでした。ナザリウスは、ペトロが気絶したか、それとも死んでしまったかと思ったほどでした。けれどもペトロはやがて起き上がって、ふるえる手で巡礼の杖を取りあげ、ひとことも言わずに七つの丘の見える火につつまれたローマの都に向かって歩きはじめました。

ペトロは、ローマに戻りました。闘技場に連れ出されて、今にも、ライオンによって噛み殺されそうになっていた大勢のクリスチャンたちを前にして、イエス・キリストのみことばを語り、祈って、励ましたのです。ペトロは、語り祈っている、その現場で、ローマ兵によって捕らえられ、自分が申し出たように、逆さ十字架につけられて、殉教しました。ヨハネの福音書は、「両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところに連れて行かれる。」(21:18)と記しています。それは、イエスが預言していることばどおりでした。

迫害の嵐はその後も200年以上にわたって地中海の世界を吹き荒れます。多くのキリスト教徒が、最後まで信仰を守りぬき殉教しました。また、信仰を捨て、他の宗教に改宗した多くの信者たちもいました。ようやく、紀元313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスの「ミラノ勅令」によって、すべての人に信仰の自由が認められる宗教寛容令が出され、長い迫害の時代に終止符を打たれました。

『祈りの歌を風にのせ』p.58「よろこべ アレルヤ」①

今イエスは、迫害のない平和な時代のわたしたちに、何を語っておられるでしょうか。宗教の自由を認められ、日常生活の中で信仰を公言できるわたしたちに何を望んでおられるのでしょうか。イエス・キリストの復活を、すでに、信じ受け入れているわたしたちキリスト者が、複雑な人間関係のしがらみの中にあって、嫉妬や憎しみ、自己中心の怒りなどが充ちている自分に気がついているにもかかわらず、もし、そのままにしていたならば、イエスは、「わたしは、エルサレムに、もう一度戻って、あなたの罪の身代わりとして、十字架にかかるつもりだ」と、十字架に向かう旅に旅立って行かれるのではないでしょうか。

ローマ郊外、旧アッピア街道の起点であるサン・セバスティアーノ門をくぐり、少し行くとペトロが、ローマでの迫害から逃れるときに、イエスと会った「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」があります。キリストの姿が消えた後、そこにはキリストの足跡が残っていました。教会には、「キリストの足跡」とよばれる聖遺物の複製があります。オリジナルは、サン・セバスチアーノ教会の礼拝堂に保存されています。「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」の正式名称は、サンタ・マリア・イン・パルミス教会と言いますが、パルミスとはキリストの足跡という意味だそうです。現在の建物は、1637年に建て直されました。

お手元のハガキをご覧ください。この名画は、16世紀、イタリアのボローニャ派を代表する画家の一人である、アンニーバレ・カラッチが描いた『アッピア街道で聖ペトロに現れるイエス』の油絵です。復活したイエスが十字架を担いで、ペトロを前に、ローマの方向へと指をさして歩いています。その目は、ペトロをしっかりと見つめています。しかし、ペトロは、驚き、後ずさりし、イエスの目を見ていません。イエスの人間への深い愛は、弱さをかかえて生きるわたしたち人間を信仰に立ち戻って生きさせる力を持っています。どんなに失敗しても裏切ってもイエスは、赦し、ともにいてくださる方です。「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16.33)とヨハネ福音書で語られたイエスをそのまま表現したような、このアンニバーレ・カラッチの名画は、ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されています。

それでは、主の復活の主日から復活節の50日間、毎日唱えられるアレルヤの祈りをキリストの母である聖母マリアとともにご一緒に祈りましょう。

アレルヤの祈り『パウロ家族の祈り』

神の母聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
あなたに宿られた方は。アレルヤ。
おことばどおりに復活されました。アレルヤ。
わたしたちのためにお祈りください。アレルヤ。
聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
主はまことに復活されました。アレルヤ。

祈願
神よ、あなたは御子キリストの復活によって、
世界に喜びをお与えになりました。
キリストの母、聖マリアにならい、
わたしたちも永遠のいのちの喜びを得ることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

最後に、聖パウロのローマの信徒への手紙を聞きましょう。

ローマの信徒への手紙 6.8-11
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことはない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分の罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

『典礼聖歌』p.410 「よろこびうたえ アレルヤ」① ②

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。


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