アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2014年 5月 3日
カトリック教会は、5月を聖母マリアにささげられた月、「聖母月」と呼んで、特別にマリアの取り次ぎを願って過ごします。ヨーロッパの春を迎える祭りを背景に広まり、18世紀に入ってさかんになりました。マリアは神の母であるばかりでなく、わたしたちの母として、一人ひとりのために祈り、導いてくださいます。
この祈りのとき、わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びと、出来事を聖母の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。
(沈黙)
お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。
『パウロ家族の祈り』p.26、「神のみ前にある祈り」を唱えましょう。
神よ、み前にあることを信じます。 あなたはわたしを顧み、祈りを聞いてくださいます。 偉大で聖なる主、あなたを礼拝します。 すべてのものを与えてくださった主、あなたに感謝します。 あわれみ深い主、罪深いわたしをゆるしてください。 いつくしみ深い主、わたしに必要なすべての恵みを与えてください。ヨハネによる福音書から、「カナの婚宴」のお話を聞きましょう。
ヨハネによる福音(ヨハネ2.1-11)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
カナでの結婚式に、イエスと弟子たちが招待されました。イエスの母であるマリアもいっしょです。喜びの宴もたけなわとなったころ、マリアは召し使いたちの様子がおかしいことに気づきます。どうやら、用意していたぶどう酒が足りなくなったようなのです。マリアはこうした人びとの必要を見分ける、細やかなセンスを持っていました。招待客は、食事を楽しんでいます。このままでは、人生の新しい一歩を踏み出したこの若い夫婦の面目が失われてしまいます。マリアはイエスに近寄って、ささやきます。「ぶどう酒がなくなりました。」
カナの婚宴 モザイク:Fr.マルコ・ループニク
(沈黙)
それに対するイエスの答えは素っ気ないものでした。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 しかし、マリアはイエスを信頼して、召し使いたちに言います。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」
その後、イエスが水がめに水を入れるよう、召し使いたちにお命じになりました。彼らが水がめを水で満たし、それをくんで世話役のところへ運んで行くと、水は良いぶどう酒に変わりました。世話役は花婿を呼んで、 言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 こうしてイエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現されました。
マリアは母として、わたしたちの必要を知っておられます。わたしたちが気づかないこと、必要としている恵みを、イエスに取り次いでくださいます。マリアの取り次ぎによって、イエスは水をぶどう酒に変えられました。わたしたちの姿は、水がめに注がれた水のようであるかもしれません。平凡で取るに足りない、弱く貧しい存在かもしれません。しかし、わたしたちの必要を知っておられるマリアの祈りによって、イエスの恵みの力によって、わたしたちも良いぶどう酒に変えられます。
(沈黙)
わたしたちがイエスの御手に自らをゆだね、福音を生きることで、わたしたちも神の良い香りを伝える者、ともに生きる人びとに、神の善良さ、愛の豊かさを伝える、良いぶどう酒となることができます。
わたしは神の愛を周りの人に伝えるために、どのようにしたらよいでしょうか。今のわたしに対して、マリアにどんな恵みを取り次いでもらいたいでしょうか。しばらく沈黙のうちに祈りましょう。
(沈黙)
『祈りの歌を風にのせ』p.20「キリストの平和」
マリアは大天使ガブリエルによって、救い主の母となることを告げられたときから、生まれてくる子、イエスのために、母親として準備していました。イエスが生まれ、日々成長していく中、マリアは世の母親たちが自分の子を育てるように、イエスを愛し、食べさせ、その幼子の姿を見守り続けました。
マリアは神の子であるイエスのことをいつも完全に理解していたわけではありません。ルカによる福音書には、イエスが12歳になったとき、ヨセフとマリアがイエスを連れて、過越祭を祝うためエルサレムの神殿に行ったときのことが描かれています。帰るころにはイエスが見つからず、またエルサレムに戻るという出来事が起こりました。神殿の境内でイエスを見つけた両親に対して、イエスは言います。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 (ルカ2.49)両親にはこのことばの意味が分かりませんでした。その後ナザレに帰り、「母はこれらのことをすべて心に納めていた」(ルカ2.51c)とルカは記しています。
マリアはすべてのことが分からなくても、父である神に信頼し、ヨセフとともにイエスを育てていきました。両親が笑ったり、泣いたりしながら、わたしたち一人ひとりを育ててくれたように、マリアは母親として、わたしたちを心に懸け、祈り、恵みを取り次いでくださっています。わたしたちが弱さのために神から離れ、道に迷ってさまようとき、マリアは見失った少年イエスを探されたように、わたしたちをも探して、父なる神へと導いてくださいます。
日々の生活の中で、わたしのマリアとのかかわりはどのようなものでしょうか。わたしたちの目には見えませんが、母として見守ってくださるマリアに感謝して、沈黙のうちに祈りましょう。
(沈黙)
子どもが成長していくために、両親、特に母親の助けは大切です。わたしたちが神から与えられたいのちをよりよく生きていくことができますように、わたしたち自身を聖母の御手にゆだねて祈りましょう。
『パウロ家族の祈り』「マリアに自己をゆだねる祈り」を唱えましょう。
師であり女王である母マリア、
師イエス・キリストの弟子として、
あなたが愛し、育て、聖化し、
導かれる人びとのうちに、
わたしをも受け入れてください。
あなたは、神のみ心のうちに、
神に召された人たちを心にとめ、
彼らのために祈り、恵みを与え、
特別に照らし、励ましてくださいます。
師イエス・キリストは、託身から昇天まで、
ご自分をあなたにゆだねました。
これはわたしにとって、教え、模範、賜物です。
わたしもすべてをあなたのみ手にゆだねます。
道・真理・いのちである師イエスをいっそうよく知り、よく倣い、
深く愛する恵みをわたしのために求めてください。
罪深いわたしは、あなたの取り次ぎがなければ、
イエスの弟子になる資格がありません。
どうか、わたしを御子イエスにとりなしてください。
霊的働きにあたり、わたしの知恵を照らし、意志を強め、
心を聖化してください。
こうして、多くの恵みをよく用い、
「生きているのは もはやわたしではありません。
キリストがわたしのうちに生きておられるのです」と言うことができますように。
わたしたちの心も、マリアのように神をたたえ、人びとの必要のために、開かれたものでありますように願って、歌いましょう。
『祈りの歌を風にのせ』p.49 「マリアの心」①、②、④)
この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに思いめぐらしましょう。
(沈黙)
ごいっしょに父である神をたたえて、感謝のうちに主の祈りを唱えましょう。
主の祈り
アヴェマリアの祈り
栄唱
結びの祈り
いのちの源である神よ、
あなたはおとめマリアを御子キリストの母として選び、
救いの恵みをわたしたちにお与えになりました。
聖母のご保護を願うわたしたちが、
日々イエスとともに歩み、成長していくことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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