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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2014年 7月 5日


アークヒルズ



今年の8月20日、パウロ家族修道会は、創立100周年を祝います。1914年、アルベリオーネ神父はイタリアのピエモンテ州にあるアルバに聖パウロ修道会を創立しました。その後、聖パウロ女子修道会などの修道会、在俗会、信徒による協力者会からなる10の団体を創立し、「パウロ家族」と呼ばれています。アルベリオーネ神父について、今日と来月の2回にわたってご紹介したいと思います。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々、出来事を聖母の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、ハガキをお取りになって席にお戻りください。

明日、ミサの中で朗読されるマタイによる福音を聞きましょう。

マタイ福音書 11章25~30節

そのとき、イエスは仰せになった。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や賢い者には隠し、小さい者に現してくださいました。 父よ、これはあなたのみ心でした。 すべてのものは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が現そうと望む者のほかに、父を知る者はいません。 労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見い出す。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

イエスはおっしゃいます。「みな、わたしのもとに来なさい」。このみ言葉はアルベリオーネ神父の生涯において、とても大切なみ言葉でした。「イエスがすべての人に救いを与えようと、ご自分のもとに人々を招いておられる」。そのイエスの望みを果たそうと、アルベリオーネ神父は生涯を捧げました。

ヤコブ・アルベリオーネは、1884年4月4日、イタリアの北部ピエモンテ州にあるクネオ、サンロレンツォフォッサーノに住む、貧しい農家の5番目の子として生まれました。

両親はとても信仰があつく、他の兄弟に比べて体が弱かったヤコブは、生まれて次の日に洗礼を受けました。

この画像は、ヤコブの生まれた家ですが、彼の家族が住んでいたのはこの家の一階にある一部屋と家畜小屋だけで、あとはこの家の所有者が使っていました。

ヤコブが6歳の時、小学校で一つの出来事が起こりました。授業のなかで、先生が子どもたちに質問しました。「大人になったとき、何になりたいですか」とたずねられたのです。一人の子どもがたずねられ、次はヤコブにたずねられました。「将来、何になりたいですか?」ヤコブは少し考え込んでから、何か光に照らされたような気がして、80人の同級生の前ではっきりと答えました。「僕は司祭になります。」

他の子どもたちはびっくりしましたが、先生はヤコブを励まし、その日からヤコブは幼いながらも、司祭になるために一生懸命に勉強し、自分の夢に向かって歩み始めました。その後1896年、12歳の時に神学校に入学しました。

1900年、少年ヤコブが16歳の時、彼はその後の将来を決定する大きな体験をします。「20世紀という新しく始まる100年のために祈りましょう」という、時の教皇レオ13世の意向に従い、12月31日の真夜中、アルバの司教座聖堂では荘厳なミサがささげられました。そのミサ後、1901年1月1日の朝まで、神学生たちはご聖体のみ前で祈っていました。ヤコブたちが祈った小聖堂の聖櫃には、マタイ福音書の「みな、わたしのもとに来なさい」というみ言葉が書かれています。

アルバ
アルバの司教座聖堂


当時、社会は工業化が進み、支配階級と労働者との格差が生まれ、社会問題となっていました。また科学の目覚ましい発展により、人間の理性と信仰が相容れないものとされ、無神論、マルクスによる共産主義が広まりました。教会の権威は失われ、教会に反対する人々は印刷の技術を使い、運動を進めていきました。

そのような社会の動きの中で、レオ13世は新しい世紀が、道・真理・いのちであるイエスのうちに始まり、人びとがイエスのうちに立ち返るようにと願いました。

この夜、ヤコブは祈りの中で、さまざまなことを思いめぐらしていました。人々が教会から離れていく中で、「すべての人をみもとに集めたい」と望んでおられる、イエスの思い。牧者として、人びとの行く末を不安な気持ちで心に懸ける、教皇のことば。「将来、司祭になろうとしている僕は、主のために何をしなければならないのだろう」。

そんなことを思いめぐらしながら、彼は顕示されたご聖体から、光を受ける体験をします。「みな、わたしのもとに来なさい」というイエスの言葉が今までよりも、もっと深く理解できたのです。主のために、またこれから始まろうとしている新しい世紀を生きる人々のために、何かをしなければならない。そのような使命を神から、いただいているように感じました。

自分自身は、神の前で、小さく貧しい存在かもしれませんが、自分一人ではなく、他の人と協力して何かできるのではないか。教会の反対者たちがしているように、組織には組織で対抗し、また彼らが使っている「印刷」という技術を通して、人々に福音をもっと伝えることができるのではないか、と考えました。

御聖体のうちに、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28.20)とおっしゃった主の存在を感じ、イエスのうちに光、慰め、悪への勝利が得られるということを確信しました。

アルバ
ヤコブたちが祈っていた小聖堂


少年ヤコブの体験は、現代に生きるわたしたちにも通じるものがあるでしょう。世界も、日本も、道を見失っているかのように多くの問題を抱えています。

「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見い出す。」

イエスのみことばは、今のわたしにどんなメッセージを投げかけているでしょうか。 しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

『平和を祈ろう』No.84 「この時、この日の、この生命を」 ① ③

御父から命をいただいたことを感謝し、イエスとともに歩んでいくことができますように、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.175、「師イエスに向かう祈り」

    師イエス、御父の最愛の子であるあなたを礼拝します。
    あなたは御父のもとに行く唯一の道です。
    わたしたちの模範となってくださったことを感謝します。
    あなたは崇高な愛の模範を残し、
    地上ではあなたに従い、天の国ではあなたとともにいるよう
    人びとをお招きになりました。
    あなたの地上の生活のさまざまな時期を観想し、
    あなたの教えを素直に受け入れ、
    あなたの歩まれた道をたどり、
    自分自身から解放されて、ただみ旨だけを求めることができるよう
    わたしたちをあなたのもとに引き寄せてください。
    終わりの日にはあなたに似た者となり、
    天の国では永遠にあなたとともにいることができるように
    わたしたちの希望を強めてください。

    道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。

ヤコブは1907年、23歳の時に司祭になりました。16歳の時に聖体のもとで体験した祈りはその後も彼の生涯を導き、「神と人々のために何かをしたい」という夢は、少しずつ実現していきます。神からいただいた使命を感じつつも、彼は自分の弱さをよく知っていました。後年、アルベリオーネ神父は修道会に入ってきた少年たちに次のように話しています。

どれほど聖人でなければいけないか、わかっているだろうか? 神が聖であるように、あなた方も聖でなければいけない。それではどうすればよいのか? 私たちは欠点だらけ、みじめさいっぱいである。私たちは、低くへりくだろう。自分では進歩できないのだから。そして、聖人になろうという力強い、寛大なよい意志がいる。これが第一の手段である。

第2は、自分を過信しないこと。自分の力を頼りにせず、いっさいの信頼を神にかけ、そして祈ること。神は欠点から私たちを解放することができるということを信じる必要がある。神は私たちが聖人になることを欲しておられるということを信じる必要がある…。神はこの恵みをあなた方に与えたいと思っておられるという、私のことばを信じる必要がある。このことはほんとうである。神が望んでおられることだ。信じなさい。

信じる人は、聖性の道、完徳の山を走っていく。自分の努力だけに頼っていく人は、ゆっくり、やっとの思いで歩き、一歩歩いてはつまずき、苦労に苦労して前進する。もっと神を頼りにする必要がある。祈り、さらに祈ること……。そして言いなさい。私にはたくさんの欠点があります。

まだこんな悪い習慣、あんな悪い癖があります。でも、それが何だ。私はイエスによく祈り、イエスが私をそれから解放してくださる。私にはいろいろな徳が欠けている。しかし、それが何だ。私は一生懸命祈ろう、イエスがそれを下さる。だから、勇気を持ちなさい。神が呼んでくださるところをじっとみつめなさい。よい意志を持つこと。自分自身を信用せず、神と祈りに全面的な信仰を持ちなさい。イエスは一瞬のうちに聖パウロを変えられた。
(ステファノ・ラメラ著 大瀧玲子訳、『今世紀の一大驚異』pp.57-59参照)

わたしたちはみな、弱さ、欠点をもっています。しかしそれらと向き合うことで、自分自身の小ささを知り、神に信頼することの大切さを知ることができます。しばらく沈黙のうちに、思いめぐらしましょう。

(沈黙)

弱さ、欠点は、御父の慈しみを知る道具ともなります。わたしたちがキリスト者として成長することができるよう、神様が恵みを与えてくださることに信頼して、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.38、「謙遜の祈り」

    神よ、あなたは、
    わたしが自分の力に頼らないことを知っておられます。
    いつくしみによって、使徒パウロを、
    あらゆる困難の時の守り手としてください。
    わたしひとりでは何もできません。
    神がともにいてくださるならなんでもできます。
    神への愛のためにすべてを行います。
    神には誉れ、わたしには永遠の幸せがありますように。

『平和を祈ろう』No.52 「主に愛されて」 ① ②

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝して祈りましょう。

(沈黙)

感謝のうちに、わたしたちが必要としている恵み、またすべての人々が平和で幸せに暮らすことができるよう、世界、社会が変えられていきますようにと願って、「主の祈り」を唱えましょう。

主の祈り
    天におられるわたしたちの父よ、
    み名が聖とされますように。
    み国が来ますように。
    みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
    わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
    わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
    わたしたちを誘惑におちいらせず、
    悪からお救いください。

結びの祈り
父である神よ、あなたはいつもわたしたちを励まし、力づけてくださいます。アルベリオーネ神父の取り次ぎによって、わたしたちも自分の弱さを恐れることなく、恵みのうちにあなたに向かって歩んでいくことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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