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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2014年11月 1日


秋明菊



カトリック教会では典礼暦で最後の月である11月を死者の月とし、亡くなった方々のために祈ります。典礼では、今日、諸聖人の祭日を祝いました。明日は死者の日として、亡くなった方々を特に思い起こしてミサがささげられます。わたしたちも、家族、知人、友人の亡くなった方々、また各地で起こっている戦争、自然災害、事故や、不慮の死によって、亡くなった人びとに永遠の安らぎが与えられますように、祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、亡くなった方々、祈りを必要としている人びとを神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください。

聖書のことばを聞く前に、わたしたち、一人ひとりに与えられている神からのメッセージに耳を傾けることができますように願って、歌いましょう。

『平和を祈ろう』No.93 「心のとびらを」

明日、ミサの中で読まれるヨハネによる福音書を聞きましょう。(ヨハネ6.37-40)

そのときイエスは人びとに言われた。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

わたしたちは両親をとおして、神から命をいただき、この世に生まれてきました。死は地上における人生の旅路の到着点であり、神が人間にお与えになった恵みとあわれみの時です。この世での命には終わりがあります。死はだれにでも訪れるものです。パウロ家族を創立したアルベリオーネ神父は、次のように書いています。「人は神の御手から生まれ、人生という名の旅路を歩み、神の御手に帰っていく」。
(『キリストがあなたがたのうちに形づくられるまで』ヤコブ・アルベリオーネ著、大瀧玲子訳、2002年、pp.73~74参照)

「人は死んだらどうなるのか」。この問いに対する答えを見い出そうと、人類の誕生以来、さまざまな試みがなされてきました。わたしたち人間の、この地上での命には限りがあります。しかし、その先には死ぬことがない命があることをキリスト教は伝えてきました。死ぬ時、わたしたちの体は朽ちてしまいますが、魂は神のもとに行きます。イエスが十字架上で命をささげて死に、復活してくださったことによって、信じる者に永遠の命を与えることを約束してくださいました。イエスはおっしゃいます。「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」。このことを思いめぐらしながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

親しい人との別れは悲しいものですが、信じる者にとって死は滅びではなく、新たな命への門です。地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられていることは、わたしたちにとって大きな慰めです。亡くなったすべての方々、特に戦争、自然災害、事故や、不慮の死によって、亡くなった人びとのために祈りましょう。

「死者のためにする祈り」を唱えましょう。

    師イエス、
    わたしたちの両親、恩人、修道会の兄弟、姉妹、親族のために祈ります。
    さらに、地上で重い責任を負っていた人びと、
    すなわち、司祭、修道者、為政者、上長をあなたにゆだねます。
    また、忘れられた人びと、
    使徒の女王マリアと使徒パウロに、
    あつい信心をささげた人びとのためにも祈ります。
    主よ、かれらを、すみやかに永遠の喜びに招いてください。

    主よ、永遠の安息をかれらに与え、不滅の光でかれらを照らしてください。
    かれらが安らかに憩いますように。アーメン。


復活のイエス


イエスが与えてくださる永遠の命は、わたしたちが死んでから与えられるものではありません。その復活の命は洗礼によって、既に与えられています。わたしたちが「死」について考える時、神から与えられた命、今、与えられた時を精一杯生きようという思いに駆られます。しかし、わたしたちは自分の弱さのために、あきらめたり、熱心さを失ってしまうことがあります。そんな、つまずきやすいわたしたちを、神は愛によって支えてくださいます。明日のミサで朗読されるパウロの手紙には、神の愛の力がどれほどのものであるかが、語られています。

ローマの信徒への手紙を聞きましょう。(ローマ8.31b-35、37-39)

皆さん、もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8.32)。わたしたちが毎日をよく生きるために、何が必要かを神はよくご存知です。恵みによって日々生かされていることを感じながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

わたしたちを愛し、導いてくださる天の御父に感謝して、歌いましょう。

 『平和を祈ろう』No.62 「緑の牧場に」① ②

教会の伝承によると、イエスの養父である聖ヨセフは、イエスが30歳になる前に亡くなったと言われています。マリアとイエスに付き添われ、安らかに臨終を迎えた聖ヨセフは、臨終の苦しみを和らげてくれる保護者として崇められています。今、臨終を迎えている人びとのため、またわたしたちが生涯の終わりの日を恵みと平安のうちに迎えることができますように、聖ヨセフの取り次ぎを求めて祈りましょう。

「聖ヨセフに向かう祈り」を唱えましょう。

    死を迎える人の保護者聖ヨセフ、
    臨終にあるすべての人のため、また、わたしたちのために
    よい死を迎えることができるよう祈ってください。
    あなたは、聖なる生活によってよい死を迎え、臨終の時には、
    イエスとマリアに付き添われて、深い慰めをお受けになりました。
    どうか、わたしたちを不慮の死から守ってください。
    生涯にわたっていつもあなたに倣い、世俗的な物事から心を離し、
    死に備えて、日々天に宝を積む恵みを取り次いでください。
    臨終の時には、あなたとマリアに助けられて、
    信仰、希望、愛、痛悔の心をおこし、ふさわしく秘跡を受けて
    安らかに息を引きとることができるようにしてください。

    聖ヨセフ、わたしたちのために祈ってください。

わたしたちが必要としている恵み、また日本をはじめ、世界で苦しんでいる人びとのために、恵みを求めて祈りましょう。
主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

この祈りの時間にいただいた恵みを振り返りましょう。

(沈黙)

祈りましょう。
いつくしみ深い神よ、あなたは御子キリストの死と復活によって、わたしたちに永遠の命をお与えになりました。亡くなったすべての人をかえりみ、あなたの国に受入れてください。わたしたちも復活の希望に励まされて、この世の旅路を歩み、いつの日かあなたの国で、永遠の喜びに満たされますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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