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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2015年 4月11日


ツヅジ


父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

ヨハネによる福音書(1.1-5)

初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。

(沈黙)

十字架の上で亡くなり、墓に葬られた主のご遺体に香料を塗るため、週の初めの日、何人かの女性たちは、墓に行きました。彼女たちが見たものは、空となった墓と、輝く衣を着た人でした。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24.5b-6a)。

イエスの復活は、この世界、社会、わたしたちの歩みを照らすこのローソクの灯のようです。たとえ暗闇の中にあっても、確かに周りを照らし、光と熱、暖かさを与えてくれます。この光は、わたしたちが復活したイエスに出会うことによって、一人ひとりの心の中に灯され、歩む道を照らしてくれます。感謝のうちに主の復活をたたえて、ご一緒に祈ってまいりましょう。

この祈りのとき、聖霊がわたしたちを導いてくださいますように、願って歌いましょう。

『典礼聖歌』No.5 「あなたのいきを」① ⑩ ⑪

明日の復活節第2主日のミサで朗読される福音に、耳を傾けましょう。

ヨハネによる福音書 20.19-23

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」。

この福音の箇所で何度もくり返されることばがあります。「平和」ということばです。弟子たちは自分たちの家の戸に鍵をかけるほど、ユダヤ人を恐れていました。しかし、イエスは弟子たちのありのままの姿を受け入れ、ご自身を現されます。そして、おっしゃいます。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。恐れと不安にとらわれていた弟子たちは、イエスから新しい使命を受けます。イエスの復活は、人間の頭ではとても考えられないような出来事でした。わたしたちはだれでも、いつの日か「死」を迎えるときが来ます。どんなに医学が発達しても、それは変わることがありません。しかし、イエスはご自分の死によって死を滅ぼし、信じる者に永遠の命を与えてくださることを約束されました。復活の出来事は、闇の中に輝く灯のようなものです。周りがどんなに闇に覆われていたとしても、確かに周りを照らし、光と熱、暖かさを与えてくれます。わたしはイエスと出会ったことによって、どんな恵み、光をいただいたでしょうか。わたしはイエスからいただいた光を、生活の中でどのように生きようとしているでしょうか。しばらく沈黙のうちにふり返ってみましょう。

わたしたちは、信仰の光をだれをとおしていただきました。わたしたちは一人ひとり、復活したイエスから恵み、光をいただいています。イエスは「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と、人びとの中にわたしたちを派遣されます。わたしはイエスからどんな光をいただいているでしょうか。わたしはイエスの光を、今度はだれに伝えたいでしょうか。そのことを、しばらく思いめぐらしましょう。

(沈黙)

イエスからいただいた光を感謝しつつ、その光を今度はほかの人にも伝えることができますように、ローソクをささげましょう。

『典礼聖歌』No.406 「平和のほのお」 ① ②

先ほど聞いた、福音の続きを聞きましょう。
ヨハネ20.24-29

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」。

復活したイエス
復活したイエス


トマスは、十一人がイエスと出会ったことを知って、うらやましかったのでしょう。意地を張ってこう言います。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。しかし、イエスの約束、仲間のことばを信じられないトマスに、イエスはご自身を現されます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。「わたしの主、わたしの神よ」と言うトマスに、イエスはおっしゃいます。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」。

人生の歩みの中にはいろいろなことがあります。良いときもあれば、そうでないときもあります。神様は目に見えませんが、いつも一緒にいてくださることを信じることができますように願って祈りましょう。

「師イエスに対する射祷(しゃとう)」を唱えましょう。
『パウロ家族の祈り』p.253
  師イエス、わたしの知性を聖化し、わたしの信仰を増してください。
  教会で教えられるイエス、すべての人をみもとに引き寄せてください。
  師イエス、誤りと空しい思い、および永遠のやみからわたしを救ってください。
  御父とわたしたちの間の道であるイエス、
  すべてをあなたにささげ、すべてをあなたから期待します。
  聖性の道であるイエス、わたしを、あなたに忠実に倣う者としてください。
  道であるイエス、わたしを、天の御父のように完全な者としてください。
  生命(いのち)であるイエス、
  わたしがあなたのうちに生きるため、わたしのうちに生きてください。
  生命であるイエス、わたしがあなたから離れることのないようにしてください。
  生命であるイエス、あなたの愛の喜びを、永遠に味あわせてください。
  真理であるイエス、わたしが世の光となるようにしてください。
  道であるイエス、わたしが人びとの模範になるようにしてください。
  生命であるイエス、
  わたしがどこにいても、あなたの恩恵と慰めをもたらす者となるようにしてください。

この時間にいただいた恵みを思い起こしながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

シスターテクラ・メルロのことば
「自分自身に信頼しないで、神だけにより頼みましょう。
わたしひとりでは何もできませんが、神がともにいてくださるなら、何でもできます」。
           (『信じるものの小さなことば』より 女子パウロ会 発行)

わたしたちが、自分の力に頼るのではなく復活なさった主に信頼して歩んでいくことができますように、また一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを神にゆだねて祈りましょう。

主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

あわれみ深い神よ、
あなたは、キリストのとうとい血によってわたしたちをあがない、
水と聖霊によって新しいいのちを与えてくださいます。
年ごとに主の復活を祝うわたしたちが洗礼の恵みを深く悟り、
信仰に生きることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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