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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2015年11月 7日

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 紫花


父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

教会の暦では、最後の月を迎えました。伝統的に、教会では11月を「死者の月」とし、亡くなったすべての人のために祈るよう、わたしたちを招いています。亡くなったすべての人びと、特に戦争、自然災害、不慮の事故などで亡くなった方々の永遠の安息を求めて祈りましょう。死を思うことは、今、生きるように与えられている命を思うことでもあります。今年は聖パウロ女子修道会の創立100周年にあたり、シスター テクラ・メルロのことばをご紹介してきました。生涯を神様にささげた彼女を思いながら、わたしたちも与えられた場で、父である神様に自らをささげて生きることができますように、恵みを願って祈りましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を神様の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。

初期のころから、修道会とシスターたちを母親のように育て、責任者として与えられた務めを忠実に果たしてきたシスター テクラ・メルロに、最初の異変が起こったのは、1963年でした。脳の発作に襲われ、その後、彼女の闘病生活が始まりました。だんだん歩くことが難しくなり、書くことも話すこともままならなくなりました。世界の姉妹たちを訪問するなど、今まで活発に働いてきた彼女にとって、生涯で最も苦しい時期でした。死が近づくにつれ、涙を流すこともありましたが、その苦しみを父なる神様にささげて、受け入れていました。彼女は謙遜で、従順、そして寛大でした。イエスのみ心にかなうことのみを望んでいたシスター テクラにとって、死ぬことは神に呼ばれることであり、御父との美しい出会いでした。彼女はこう言っています。「神様のお召しにいつも準備していましょう。ただ清い良心を保つだけでなく、多くのよい業を持っていくように準備しましょう。時間は早く過ぎ去ってしまいます。これを永遠に役立たせるように使わなければ……。」と、よくシスターたちを励ましていました。

シスター テクラは感謝の心で死に近づいていきました。彼女の主治医は次のように言っています。「シスター テクラは、よく、『神に感謝』(デオ グラチアス)、と繰り返しておられました。絶えず神に感謝するというのは意味深いことです。『神に感謝』。ラテン語では、たった二つの単語ですが、長い演説よりもたくさんのことを表します」。シスター テクラにとって、死は「わたしを待っている美しい天国」の門でした。生前、次のように姉妹たちに話しています。「神様のことを考えましょう。主を考えながら生きましょう。主に、主のあわれみに、何でも期待できます。わたしたちの故郷はそこにあって、そこに聖師イエスが備えてくださった席があります。それを熱く望み、どうしてもそこに至らなければなりません。天国でさえあればどんな場所でもいいと言わずに、高いところ、わたしたちのために定められたところに行きたい、と望んでください……」。

最初の発作から1年後の1964年2月5日、お昼過ぎに臨終の苦しみが始まりました。創立者のアルベリオーネ神父とシスターたちは、ベッドを囲んで祈っていました。ヨハネ福音書のご受難の場面が朗読され、続いて修道会の誓願文を唱えました。シスター テクラの荒い息づかいが強くなり、やがてまたゆっくりになりました。彼女の臨終の苦しみがシスターたちの心を刺していました。アルベリオーネ神父は身をかがめて、言いました。「あなたの命を修道会のためにささげなさい。修道会の全会員が聖なる者となるように、あなたと、あなたの命、苦しみをささげなさい」。

そこでアルベリオーネ神父は、声がつまって話せなくなりました。ベッドの周りは沈黙に包まれました。臨終の苦しい息づかいはしばらく続き、しだいに遠くなりました。シスター テクラの目は開き、また閉じ、手の指が伸びました。呼吸は静かになり、けいれんも治まりました。臨終のもだえはひどいものでしたが、最後の瞬間は非常に穏やかでした。
(オルガ・アンブロージ著 アグネス・レト訳、『よい便りの使者』より

『平和を祈ろう』p.94 「愛とはすべてを」①、 ②

1915年、シスターテクラは21歳のとき、アルベリオーネ神父が集めた少女たちのグループに加わりました。そのとき、出版をとおして福音宣教するこの小さな群れは、多く無理解と批判を受けました。しかし、約50年後の1963年、第2バチカン公会議では、『広報機関に関する教令』が発布され、メディアによって宣教することは、教会の務めの一部であると公に認められるようになりました。教令はすぐにパンフレットとして印刷され、そのとき入院中であったシスター テクラの手に渡されました。彼女はそれを手に取り、しみじみと眺めて、読みました。深い喜びのうちに、心から「神に感謝!」ということばが唇から、こぼれました。この公認によって、シスター テクラは自分が教会に仕えてきたことと、キリストのみことばを宣教するための確実で、効果的な遺産をという確信を持つことができました。亡くなる3か月前の出来事でした。それは彼女にとって地上における最後の、言い知れぬ喜びとなりました。

シスター テクラは、神から与えられたミッションを全うし、自分の人生をささげました。父である神は、わたしたち一人ひとりの人生に、夢を描き、その人にしか果たせないミッションを与えてくださっています。わたしたちも、キリスト者として、与えられた場で、いただいたミッションを果たしていくことができますように。三位一体の神にわたしたち自身をささげて、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.248 「三位一体への祈り」を唱えましょう。

   父と子と聖霊の三位の神よ、
   教会のうちに、またわたしたちのうちに働いておられるあなたを礼拝し、
   愛と感謝をささげます。

   聖母マリアのみ手をとおして、わたしのすべてを、今もいつも永遠に、
   あなたに供え、ゆだね、ささげます。
   天の父よ、子としてわたしをあなたに供え、ゆだね、ささげます。
   師イエスよ、兄弟姉妹、弟子としてわたしをあなたに供え、ゆだね、ささげます。

   聖霊よ、聖別奉献されるための生きた神殿として、
   わたしをあなたに供え、ゆだね、ささげます。
   教会の母でありわたしの母であるマリア、あなたは三位一体の神のうちにおられます。

   どうかわたしの全生涯が「父と子と聖霊の栄光」となるよう、
   典礼と秘跡をとおして、三位一体の神との親しい交わりを
   深めていくことができるようにしてください。アーメン。

 紫花


明日、ミサの中で朗読される福音を聞きましょう。(マルコ12.38~44)

イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。かれらは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
 イエスは賽銭(さいせん)箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

朗読された箇所には、二つのタイプの人びとが登場します。律法学者たちや大勢のお金持ちと、貧しいやもめです。律法学者たちは、長い衣を着ること、人から挨拶され、人びとの集まる場所では、目立つ場所、上席を好んでいました。他の人よりも目立つこと、上に立つこと、優位な立場にあることを好みました。イエスは、神殿で献金する人たちを見ておられます。お金持ちの人たちは、有り余っている中からたくさんのお金を献金しています。一方、貧しいやもめはレプトン銅貨2枚を入れます。彼女は、一枚は献金し、もう一枚は自分のために残しておくこともできました。しかし、2枚とも賽銭箱の中に入れます。(間)人間の目から見れば、多くの額を入れた人が、賞賛されるでしょう。しかし、神様の物の見方は違います。イエスは、弟子たちを呼び寄せて教えます。「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
(シルヴァノ・ファウスディ著、佐久間勤訳、『思い起こし、物語れ(下巻)~マルコ福音書のメッセージ~』より

洗礼を受けた人は皆、御父から愛された神の子ども、イエスの弟子として、歩みを始めます。御父は両親の存在をとおして、わたしたちに自然の命を与え、イエスのあがないのわざと洗礼の秘跡をとおして、永遠の命を与えてくださいました。社会の中では、人と比較し、勉強ができること、能力があることを求められますが、御父はわたしたちにそのようなことを求めてはおられません。いただいた命、能力を、自分のためではなく、他の人が幸せになるために使い、喜んで生きることを御父は望んでおられます。

沈黙のうちに、しばらくふり返りましょう。

(沈黙)

『平和を祈ろう』No.52、「主に愛されて」①~③

死者の月にあたり、亡くなったすべての人の、永遠の安息を願って祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.190 「死者のためにする祈り」を唱えましょう。

   聖母マリアとすべての聖人の取り次ぎによって、
   神を信じて亡くなった人びとを、復活の栄光にあずからせてください。
   大天使ミカエルの取り次ぎによって、
   アブラハムとその子孫に約束された聖なる光に、かれらを導いてください。
   主よ、かれらのためにささげる賛美の祈りを受け納め、
   かれらを永遠の喜びに迎え入れてください。

   主よ、永遠の安息をかれらに与え、不滅の光でかれらを照らしてください。
   かれらが安らかにいこいますように。アーメン。

この祈りの時間にいただいた恵みを感謝しましょう。

(沈黙)

祈りましょう。
恵み豊かな父よ、わたしたち一人ひとりを愛し、命を与えてくださったことを感謝します。あなたからいただいた命、賜物を人びとの善のために、用いることを教えてください。兄弟姉妹に奉仕することによって、互いに理解し合い、愛し合い、あなたのみ国が広がっていきますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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