アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2016年 3月 5日
四旬節……。教会の中で、この期間は復活祭に受洗する洗礼志願者の直前の準備期間とされてきました。イエスの受難と死、そして復活を思い、わたしたちに永遠のいのちを与えてくださったことを感謝し、すでに洗礼を受けた信者も自分の生活をふり返り、節制と回心につとめます。
教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年大勅書」の中で、神のいつくしみを祝い、それを味わう期間として、四旬節を過ごすよう勧めています。特に昨日から今日にかけての24時間は、「主にささげる24時間」として祈りと黙想、回心のときとして祈りをささげるよう望んでおられます。世界のそして日本の小教区で、講話やゆるしの秘跡にあずかり、祈りのうちに過ごしている人々とともに、わたしたちも心を合わせてこの時間をおささげいたしましょう。
わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。
(沈黙)
お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。
主の平和のうちに、これから聞くみことばに耳を傾けることができますようにと願って、歌いましょう。
『祈りの歌を風にのせ』p.20、「キリストの平和」 平和、光、力
四旬節第4主日のミサの中で朗読される、「放蕩息子のたとえ話」を聞きましょう。(ルカ15,1~3、11~32)
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
そこで、イエスは次のたとえを話された。「ある人に息子が二人いた。 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉(ききん)が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
レンブラント「放蕩息子の帰還」
この福音は有名な箇所です。二人の息子を持つ父の姿は、まさに御父のいつくしみの豊かさをよく表していると言えるでしょう。父親と二人の息子……。この弟と兄は同じ親から生まれて育ちましたが、性格は対照的でした。三人の姿を見ていきましょう。
弟は父に対して、どのようにふるまったでしょうか。
・父親がまだ死んでいないのに、弟は財産を分けてくれるように願い、
・その財産を全部、お金に換えた。
・遠い国に旅立ち、
・そこで放蕩の限りを尽くし、最後には財産を無駄使いしてしまった。
この弟は、自由奔放ということばでは表せないほど、身勝手な行動に出ました。「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」。このことばは父親にとって、大変な侮辱であると言わざるを得ません。ここでは、財産の譲渡だけではなく、それを自由に処分することさえしています。それらを弟は当然のごとく要求し、自分のしたいようにしています。言い換えれば、「お父さん、わたしはあなたが死ぬまで待てません」と言っているようなものです(ヘンリ・ナウエン著、片岡伸光訳『放蕩息子の帰郷―父の家に立ち返る物語』、あめんどう、2003年、pp.47~48参照)。弟は相当な額の財産を手にしたことでしょう。家族を捨て、家を捨て、祖国を捨てて、遠い国に旅立ってしまいます。これだけのことをしたのですから、もう家にも、故郷にも戻らないつもりだったかもしれません。
兄の方はどうでしょう。彼は自分自身でこう言っています。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません」。
兄は真面目で、本当に忠実に父の下で働いてきました。しかし、そこに父親との親しい関わりは感じられません。文字通り、兄は父に「仕えてきた」のです。主人と僕の関係であり、父と息子ではありません。「言いつけに背いたことは一度も」ないほど、彼は働いてきました。しかし友達と宴会をするのに、父は子山羊一匹すらくれなかったです。 「なぜ父は、兄に子山羊をくれなかったのか」といろいろ解釈されていますが、兄がそのことを父にはっきりと言わなかったからかもしれません。兄は我慢していました。ところが自分勝手に放蕩の限りを尽くした弟が帰ると、父は肥えた子牛を屠って、宴会を催します。そこで、兄の不満が怒りとなって、一気に爆発します。
二人の息子を前にして、父親はどうだったでしょうか。父は二人の現実を受け入れます。責めることも、非難することもしません。この話を黙想しながら、わたしたちはいろいろ考えます。「『弟が悪い』。『いや、兄の方が悪い』」と……。しかしある意味、この息子たちは二人とも、父の心から遠く離れていました。父の存在から離れて生きようとした弟、父のそばにいながら、父の思いを共有することができなかった兄……。ただ、弟はありのままの惨めな姿で、父のもとに帰ることを決意しました。父親は兄に言います。「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。兄は、弟が帰って来たことを祝う宴会に加わるのでしょうか。
たとえ話の中で、心に残った場面、登場人物の姿を思い浮かべましょう。しばらく祈りのうちに、わたし自身の姿をふり返ってみましょう。
(沈黙)
父である神が、わたしたちの歩み、生活の中で、示してくださった愛、いつくしみに感謝しましょう。また、自分の至らなさ、弱さを思い、御父のゆるしを願って祈りましょう。
神のゆるしを願う祈り 『パウロ家族の祈り』p.37
いつくしみ深い父よ、あなたは御ひとり子をお与えになるほどわたしたちを愛し、
その受難と死と復活によって、
あなたのいのちにあずかることができるようにしてくださいました。
しかし、わたしは自分中心に生きてあなたの愛に背き、
あなたと兄弟に対して、罪を犯しました。
どうか聖霊を豊かに注いでわたしの罪をゆるし、回心の恵みをお与えください。
これからはキリストに従って生きる者となり、
真の愛を実践することができますように。アーメン。
『祈りの歌を風にのせ』p.36 「主と共に」① ②
この祈りの時間に頂いた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。
(沈黙)
祈りましょう
いつくしみ深い神よ、ひとり子イエスは、仕えられるためではなく仕えるために世に来られ、受難と死をとおして、神の永遠のいのちに入られました。主の過越にあずかることを願って、四旬節の日々を過ごしているわたしたちは、祈りと愛の行いに励むよう呼びかけられています。
わたしたちが貧しく、打ちひしがれた世界中の兄弟姉妹に心を向けることができますように。その人々の悲しみや苦しみをともに担い、また喜びと希望をも分かち合うことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
「アレオパゴスの祈り 年間スケジュールと祈りの紹介」に戻る