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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2016年 9月 3日


 ミニ花束


9月4日、バチカンのサン・ピエトロ広場では、マザー・テレサの列聖式が行われます。カトリック信徒が少ない日本でも、マザー・テレサを知る人は多く、貧しい人々、苦しんでいる人々に奉仕することによって、神の愛を証ししたマザーの生き方、ことばは多くの人に慰め、励ましを与え、愛されています。しかし、マザーの帰天後、彼女の信仰の危機をつづった本が出版され、苦しい霊的生活を体験していた彼女の姿が知られるようになりました。苦しみの中にあっても、神への信頼のうちに生きたマザーの生涯を思いめぐらしながら、ごいっしょに祈ってまいりましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々を父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください。

ここに集まったわたしたちが、この祈りの時間をよく過ごすことができますように主の恵みを求めて、歌いましょう。

『祈りの歌を風にのせ』No.35「主に賛歌を」③ ⑤

詩編42のことばに耳を傾けましょう。(詩編42.2~4、6、9~16)

谷川の水を求めて、あえぎさまよう 鹿のように、神よ、わたしは あなたを慕う。
わたしの心は あなたを求め、神の命にあこがれる。
あなたを仰ぎ見られる日は いつか。
「神はどこに」と日夜 問われて、明け暮れ涙を食物とした。

わたしの心は なぜ、うちしずみ、嘆き悲しむのか。
神に希望を置き、賛美をささげよう、わたしの救い、わたしの神に。
昼も夜も神の恵みを待ち望み、わたしの命である神に歌をささげる。

「わたしの岩、わたしの神、どうして わたしを 忘れられたのか。
どうして わたしは しいたげられ、嘆きのうちに歩むのか。」
昼も夜も「神は どこに」と問われ、そのあざけりは骨身にこたえる。

わたしの心は なぜ、うちしずみ、嘆き悲しむのか。
神に希望を置き、賛美をささげよう、わたしの救い、わたしの神に。

詩編42は、ヨルダン川の上流に追放された作者が、エルサレムの神殿を思い、そこで受けた恵みを思い起こしている詩です。それと同時に、神から離れていることを痛切に嘆いています。信仰者であっても、「神から離れている、神の存在が感じられない」という体験をすることがあります。それは、「生きた聖人」と言われたマザー・テレサも、同じでした。

シスター・テレサ(後のマザー・テレサ)は、教育に従事するロレット修道会のシスターとして、コルカタの裕福な子女たちを教え、与えられた使命を喜んで生きていました。しかし、1946年に、コルカタからダージリンに向かう列車の中で、「最も貧しい人のために働くように」と、神から新たな招きを受けます。その後、霊的指導司祭に相談しながら、祈りのうちに、修道会を出ることを決断しました。1948年に教皇庁から修道院を離れて暮らす許可を得ると、インド国内で医療訓練を受け、マザー・テレサは一人でコルカタの街に入ります。そこで彼女は死に行く人々、見捨てられた人々の世話を始めました。そんな彼女のもとへやってきて、活動を助けたのはかつての教え子たちでした。こうして、1950年、「神の愛の宣教者会」はコルカタ大司教の認可を受け、最初の「死を待つ人々の家」は、テレサを含む12人のシスターたちによって始まりました。

神との親しさのうちに、新しい修道会が設立され、創立者として献身的に活動していたと考えられていましたが、その影で、信仰の危機を体験していた彼女の姿が知られるようになったのは、彼女の帰天後、2007年に出版された、‘ Come Be My Light ’(『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』)という本がきっかけでした。この本には、彼女と霊的指導司祭の往復書簡が収録され、「神の存在を感じられない」という彼女の苦悩が切々とつづられています。この本の編集者である、「神の愛の宣教者司祭会」のブライアン・コロディエチュック神父は、マザーの霊的闇の体験は、修道会創立前後の1949~1950年ころに始まったと証言しています。この苦しい体験は、晩年にまで及びました。1959年、彼女は手紙の中で、霊的指導司祭だったピカチー神父に、次のように祈りの形で書いています。

主よ、わたしの神よ、あなたが見捨てられるわたしとは、何者なのでしょう? あなたの愛の子であったのに、今は、不要な者、愛されない者として、あなたがお捨てになった者です。わたしは叫び、しがみつき、欲します、でも答える人はだれもいません。わたしはたった一人です。闇はそれほど暗く、わたしは孤独です。わたしの信仰はどこに行ったのか。心の奥底にも、空虚と暗闇以外には何もありません。神よ、この未知の痛みは何と辛いのでしょう。神はわたしを愛すると言われましたが、闇と冷たさと空虚の現実があまりにも大きく、わたしの魂を動かすものは何もありません。この仕事を始める前は、あれほどの一致、愛、信仰、信頼、祈り、犠牲がありました。イエスの呼びかけに全面的に身をゆだねたのは間違っていたのでしょうか。しかし、仕事には疑う余地はありません。この仕事は神からものであって、わたしのものではないと信じているからです。
こんなに小さなわたしに、神よ、あなたは何をされているのですか。あなたが御受難をわたしの心に記す、と言われたときの答えがこれなのですか。

(マザーテレサ 著、編集・解説 ブライアン・コロディエチュック、里見貞代 訳、『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』女子パウロ会、2014年、pp.305~306)


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わたしたち一人ひとりも、信仰の歩みの中で、神の存在を感じられない苦しいときがあったと思います。そのことを思いながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

『パウロ家族の祈り』p.233、詩編130をごいっしょに唱えましょう。
   神よ、深いふちからあなたに叫び、
   嘆き祈るわたしの声を聞いてください。
   あなたが悪に目をとめられるなら、
   主よ、だれがあなたの前に立てよう。
   しかし、あなたのゆるしのために、
   人はあなたを おそれとうとぶ。
   神はわたしの希望、わたしの望み、
   わたしはそのことばに寄り頼む。
   夜明けを待ちわびる夜回りにもまして、
   わたしの心は主を待ち望む。
   イスラエルよ、神に寄り頼め、
   神は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
   神はすべての罪から、
   イスラエルを救われる。

   栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に。
   アーメン。

マザーの苦しい体験は、その後も続きますが、一つの転機が訪れました。それは、その苦しみを受け入れることによってでした。彼女は1961、62年に霊的指導司祭に次のように書いています。

神父様のご親切に対するわたしの感謝を表明することばがございません。と申しますのは、過去11年をとおして初めて、わたしは暗闇を愛するようになりました。今、わたしは闇がイエスの地上における闇と痛みの非常に小さな部分であることを信じるからです。神父様が書いてくださったように、それを「仕事の霊的一面」として受け入れることを教えられました。イエスは、もはや自分で苦しむことができないので、わたしのうちで苦しむことを望んでいらっしゃることに深い喜びを、今日本当に感じました。今まで以上に、神に自分をゆだねます。そうです、今まで以上に、わたしは主のお気に召すままになります。もし、わたしが聖人になるなら、きっと「暗闇の聖人」になります。地上で闇の中に住む人たちに光をともすために、いつも天国を留守にすることになります。(前掲書、p.351、p.548)

マザーは、信仰の闇の中にあっても、自分に与えられた使命に確信を持っていました。1977年、ケンブリッジ大学での講演で次のように述べています。

今日も、神は世界を愛し続けておられます。神は、世界を愛しておられることと、世界に対してあわれみを持っていることを証明するために、あなたがたとわたしを送り続けておられます。わたしたちは現代世界において、神の愛、神のあわれみとならなければならないのです。(前掲書、p.549)

しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

わたしたち一人ひとりが、置かれた場所で、神である御父に信頼して生きることができますように、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.233、詩編130をごいっしょに唱えましょう。
   神よ、きょうわたしの身に起こるすべてのことは、
   あなたが永遠からわたしの善のために予見し、
   備えてくださったことを信じます。
   永遠の計り知れないご計画を尊び、
   あなたの愛のために、心を尽くしてこれに従います。
   また、わたしのすべてをいけにえとし、
   神である救い主イエスのいけにえに合わせてささげます。
   救い主のみ名により、また、その限りない いさおしによって願います。
   あなたのはからいによって起こることはすべて、
   あなたのより大きな栄光と、わたしの聖化のためになるよう、
   労苦に際しての忍耐と、神への完全な服従の恵みを与えてください。

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。

(沈黙)

『祈りの歌を風にのせ』p.60「わたしをお使いください」① ③ ④

祈りましょう。
信じる者の力である神よ、
あなたはコルカタのテレサに、「わたしは渇く」というみことばを与え、信仰の闇の中にあっても、神と人々を愛する恵みを与えられました。聖人の取り次ぎを願うわたしたちが、日々の生活の中で、あなたの愛を証しすることができますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
+ 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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