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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2017年 5月 6日


 菊桜


5月になり、若葉が美しい季節を迎えました。この自然の美しさも、いのちの与え主である主の復活を喜びび祝っているようです。自然をはじめとして、被造物であるわたしたちは、この地上でのいのちにはいつか終わりがあることを知っています。ニケア・コンスタンチノープル信条の中で、復活した主は、天に昇り、父の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られること、また御父が支配する神の国は終わることがない、と宣言します。この世界はまだ善と悪が共存していますが、この地上の世界が終わるとき、イエスが栄光の姿でおいでになり、悪が滅ぼされ、神の国が完全な形で実現すると、わたしたちは信じています。

今年は「主の祈り」をテーマに祈っています。今日は2番目の祈りである、「み国が来ますように」の部分をごいっしょに祈ってまいりましょう。

御聖体のうちにおられる主のみ前で過ごすこの時間、わたしは特にどんな恵みを願いたいでしょうか。また、祈りを必要としている人びとを父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を主のみ前に差し出して、ローソクをささげましょう。

 祭壇のローソク
祭壇のローソク


聖書のことばを聞く前に、この祈りの時をよく過ごすことができますようにと願って、歌いましょう。

『典礼聖歌』 No.388 「ガリラヤの風かおる丘で」①、②、③

ルカによる福音書のことばに耳を傾けましょう。ルカ17. 20~21。

ファリサイ派の人びとが、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。


(沈黙)

新約聖書の中で、イエスはたびたび「神の国」について人びとに話しています。「神の国」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。イエスは十字架にかかられる前に、ポンティオ・ピラトの前でおっしゃっています。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」(ヨハネ 18.36)。「神の国」は、本質的に神の支配を表し、現在にも未来にも支配する神の働きを指しています。今、聞いた福音の中で、イエスは、「神の国は、『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」とおっしゃっています。イエスの国、神の国は特定の場所にあるわけではなく、霊的なものであると言えるでしょう。マルコによる福音書の中で、イエスが洗礼を受けた後、最初の宣教において人びとに語りかけたことは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1.15)というメッセージでした。「神の国」は、イエスの宣教生活の中で、大きなテーマでした。

イエスがこの世に来られる前、ユダヤ人たちはモーセをとおして与えられた律法を守ることを大切にしてきました。いつしか彼らは外国からの支配に苦しみ、いつか救い主が来て、神の国が到来することを待ち望んでいました。彼らは、律法を守ることで、神のみ心、み旨を果たしていると思っていました。しかし規則に縛られ、規定を守ることに固執していったその心は、神のみ心からしだいに離れていったことに気づきませんでした。御子イエスは、神の愛のみ心を人びとに伝えるため、この世に遣わされました。「神の国」とは、わたしたちの心が神の愛で満たされ、その神が望んでおられることを果たしていくことだと言えるかもしれません。そのとき、わたしの心、わたしたちのうちに「神の国」が到来していると言えるでしょう。そのことを心に留めながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

わたしたち、一人ひとりのうちにいてくださる主イエスに感謝し、祈りましょう
『   パウロ家族の祈り』p.93

   わたしのいのち、喜び、すべて善の源であるイエス、
   あなたと、尊い御血によってあがなわれた人びとを
   いっそう深く愛していくことができるようにしてください。
   あなたはぶどうの木、わたしはその枝です。
   豊かな実を結ぶため、常に、あなたにとどまることを望みます。
   あなたは恵みの泉です。わたしを聖化するために、豊かな恵みを注いでください。
   あなたはわたしの頭、わたしはあなたの肢体です。
   聖霊を注いで、その賜物を与えてください。
   マリアをとおしてみ国が来ますように。
   わたしの心にかかる人びとを慰め、助け、
   亡くなった人びとに安らかな憩いを与えてください。
   多くの人を使徒職に召し、彼らを聖化してください。

わたしの心が神で満たされ、わたしのうちに神の国が実現するために、どうしたらよいでしょうか。マタイによる福音書の中で、イエスは次のように語っています。

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったい誰が、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」。
(マタイ 18.1~4)

イエスはよく子どもたちの姿を模範とするよう、わたしたちに語ります。子どもたちは単純で、親をはじめ、まわりの大人を信頼し、彼らから保護され、愛されることなしに、成長することはできない存在です。子どもたちが、もし幼児期に他者を信頼し、愛される体験を持つことができなければ、その後、とても大きな問題を抱えてしまうことになります。自分の限界を受け入れ、他者の愛を必要としていることを受け入れることは、とても大きな恵みです。

 祈る人々
アレオパゴスの祈りで祈る人々


今年の5月13日、教会はファティマの聖母のご出現、100周年を迎えます。100年前、10歳、8歳、7歳だった3人の子どもたちは、天使と聖母に数回出会い、人びとの救いのために祈りと苦しみをささげるよう、メッセージを受けました。聖母のご出現で有名なのはルルドでの出来事ですが、ご出現を受けた聖ベルナデッタは、当時14歳でした。この子どもたちは、その後、大人たちからの不信、疑い、嫌がらせを受けることになりますが、それらを勇気をもって耐え忍び、聖母のメッセージを伝える道具となりました。大人は今までの知識、体験、人間的な考えが時に邪魔をし、神を信じ、身をゆだねるのを難しくさせます。一方、子どもたちは大人が驚くほどの大胆さで、神に信頼し、歩んでいくことがあります。

(沈黙)

わたしたちも、神の国がこの地上に実現していくための道具となることができますように、聖母マリアの取り次ぎを求めて、祈りましょう。

   『パウロ家族の祈り』p.276
   わたしたちの母・師・女王であるマリア、
   「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、
   収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」
   と仰せになったイエスのことばに従ってささげるわたしたちの願いを、
   いつくしみ深く聞き入れてください。

   70億を超える人びとに、あわれみの目を注いでください。
   多くの人びとが、父も牧者も教師もなく、やみの中をさまよっています。

   神は道・真理・生命である師イエスを世に与えるため、あなたを使徒とされました。
   人びとはあなたによってイエスに至る道を見いだします。
   あなたの取り次ぎによって、次の恵みを求めます。

   すべてのカトリック信者が、あらゆる召命、
   あらゆる使徒職のために、全力を尽くして働きますように。
   キリストを信じるすべての人がキリストを信じないすべての人のために、
   すべての熱心な者が、すべての無関心な者のために、
   すべてのカトリック信者が、カトリック信者でない人のために働きますように。

   すべての召された者が、その召し出しにこたえ、
   すべての使徒が聖となり、すべての人が彼らを受け入れますように。
   十字架のもとで、あなたは心を広げ、
   すべての人を、子として受け入れてくださいました。
   あなたとイエス、および聖パウロの心に倣う使徒的精神を与えてください。

   こうしていつの日か天の国で、わたしたち皆が
   あなたのまわりに集うことができますように。
   師であり女王であるマリア、あなたの子らを祝福してください。

いただいた恵みに感謝し、聖母にささげられたこの月をよく過ごすことができますようにと願って歌いましょう。

『典礼聖歌』 No.372 「救い主を育てた母」

祈りましょう。
いつくしみ深い神よ、わたしたち一人ひとりをここに集めてくださったことを感謝します。わたしたちがあなたの愛に満たされ、あなたの国がこの地上に実現するよう、働くことができますように。聖母マリアがわたしたちと共にいて、導いてくださいますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

+父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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