アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2017年 9月 2日
わたしたちはここにこうして集い、祈りつつ、神様とともに日々歩みたいと願っています。「教会に通っているから」、「洗礼をもう受けたから」と言って、歩みは順風満帆であるわけではありません。聖パウロは、「ローマの信徒への手紙」の中で、次のように言っています。「わたしは、自分のうちには、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます」(ローマ7. 18~19、21)。洗礼を受けても、信仰の恵みをいただいていても、悪や罪と無縁であるわけではありません。そのため、イエスは御父が守ってくださるように祈ることをわたしたちに教えてくださいました。今日は、「主の祈り」の後半部分にあたる、「 わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」の部分をごいっしょに祈ってまいりましょう。
御聖体のうちにおられる主のみ前で過ごすこの時間、わたしは特にどんな恵みを願いたいでしょうか。また、祈りを必要としている人々を父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。
(沈黙)
お祈りしたい意向を主のみ前に差し出して、ローソクをささげましょう。
聖書のことばを聞く前に、この祈りの時をよく過ごすことができますようにと願って、歌いましょう。
『平和を祈ろう』 No.16 「主をあおぎみ」①~③
マタイによる福音書のことばに耳を傾けましょう。(マタイ4.1~11)
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 そして40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れていき、神殿の屋根の端に立たせて、 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。 さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れていき、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
(沈黙)
今、聞いた箇所は、宣教生活を始める前に、イエスご自身が誘惑を受けた場面が描かれています。「石をパンに変える」という悪魔のささやきは、自分に与えられた神としての権能、力を他者のためではなく、自分のために使うことを意味しています。また、神を試すこと、権力・富への執着は、わたしたちが日常生活でも、大なり小なり体験することです。2012年に亡くなったカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿の解説を聞きましょう。
「主の祈り」に出てくる「悪」ということばに集中しましょう。わたしたちの魂に起こる変化を望んでそうします。主の祈りが「わたしたちの父よ」という親しみのある呼び名で始まりながら「悪」ということばで締めくくられることに意表を突かれます。1943年に若くして亡くなったユダヤ人の偉大な宗教思想家シモーヌ・ヴェイユは、こう説明しています。「『主の祈り』が、『父よ』で始まり『悪』で締めくくられるのは、信頼と恐れの関係を見つめるためです。わたしたちが恐れによって失敗が引き起こさないために、信頼だけが力を与えることを認識する必要があるからです」。
悪は、非宗教者からの口からも聞かれます。悪の経験ほど普遍的な経験はないからです。また、「わたしたちを悪からお救いください」という祈願は、直前の「わたしたちを誘惑に陥らせず」に対応しています。その祈願は、どれほど悪の力が個人と社会の背後に潜んでいて、この世に蔓延しているかを指し示しています。
「悪」を語るとき、わたしたちは、病気・事故・不幸・飢え・貧困・家のない状態・失業を考えます。けれども、実は、これらの悪からの解放は「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」という表現で望ましいものへの願いとして祈願されています。それと違って、主の祈りの最後の祈願は、悪がもっと深刻で破壊的に呼び起こされています。イエスは、悪の究極的な根である道徳的な悪について語っています。
わたしたちのうちに潜む個人的な「悪」は、悩ませ、前進させることを妨げ、悪い方へ連れていきます(悪霊の働きと言るでしょう)。悲観主義・落胆などが、神の国を建設するのを妨害します。「わたしたちを悪からお救いください」という祈願の前の「わたしたちを誘惑に陥らないようにしてください」の祈願があって両者は関係しています。「誘惑」は「悪」に通じています。「誘惑」に陥ると「悪」は良心を引き裂いて平和を奪い人間性を低めます。絶望に至り薬物などの中毒になってしまうこともあります。わたしたちが願うのはこれらの「悪」からの解放です。人生に終止符を打ちたいとさえ望ませる「悪」と、決別することです。
(カルロ・マリア・マルティーニ著『イエスの教えてくれた祈り「主の祈り」を現代的な視点から』教友社)
わたしが毎日の生活の中で、体験している「悪」「誘惑」とは、何でしょう。そのことを思い起こしながら、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。
(沈黙)
ルプニク神父作 罪人を救うイエス
日々、わたしたちを養ってくださる天の御父に感謝し、弱さのために御父のみ旨を生きることができなかったことに対して、ゆるしを求めて祈りましょう。
『パウロ家族の祈り』p.258「師イエスに対する射祷」
師イエス、わたしの知性を聖化し、わたしの信仰を増してください。
教会で教えられるイエス、すべての人をみもとに引き寄せてください。
師イエス、誤りと空しい思い、および永遠の闇からわたしを救ってください。
御父とわたしたちの間の道であるイエス、
すべてをあなたにささげ、すべてをあなたから期待します。
聖性の道であるイエス、わたしを、あなたに忠実に倣う者としてください。
道であるイエス、わたしを、天の御父のように完全な者としてください。
いのちであるイエス、
わたしがあなたのうちに生きるため、わたしのうちに生きてください。
いのちであるイエス、わたしがあなたから離れることのないようにしてください。
いのちであるイエス、あなたの愛の喜びを、永遠に味わあせてください。
真理であるイエス、わたしが世の光となるようにしてください。
道であるイエス、わたしが人びとの模範になるようにしてください。
生命であるイエス、わたしがどこにいても、
あなたの恩恵と慰めをもたらす者となるようにしてください。
マルティーニ枢機卿の解説の続きを聞きましょう。
わたしたちのうちに潜む個人的な「悪」のほかに、集団的な過ちがあります。人種差別・民族紛争・奴隷制度・社会的不正・拷問・原発問題などのことです。これらの悪から完全に自分が切り離すのは困難です。「悪」は文化の内部に潜んでいて、ある社会的集団の遺伝子になっているからです。さらにひどい悪・邪悪さが存在します。邪悪な行いが法律に適したものなってしまうことがあります。「善と「悪」、「光」と「闇」が正反対になった状態です。アウシュビッツの強制収容所で犯された巨大な悪を考えてください。ですからイエスは「邪悪さから救ってください」と御父に叫ぶように祈るのです。わたしたちも「巨大な悪から救ってください」「悪を正当化する動きから救ってください」と叫ぶのです。
イエスはもっと底の深い「悪」「道徳的な悪」に対しては、ご自身がすべての「悪」を背負う苦痛に満ちた戦略を選ばれました。鞭打たれて押しつぶされるのを受け入れ、ご自身を十字架上でささげ、そこでのゆるしを通して「悪」に打ち勝ちました。「わたしたちを悪からお救いください」という願いには、イエスがささげてくださった多大な犠牲を伴っています。イエスの限りない愛によって人間の「邪悪さ」が沈められるのです。
わたしたちはこの世で「悪の衝撃」を感じなくていいように計らわれているのではなく、そのような苦痛を味わいながらも、この世に来られたイエスによって信仰と希望を確信するように導かれているのです。もっとも深刻な「悪」は、試みのさなかで負けること、信仰と希望を失うこと、自分に絶望することです。わたしたちが救いを求めるのはこの運命からです。御父が、敵の勝利からイエスを守ったように、わたしたちをも守られます。希望のうちに勝利するように導かれます。この希望をもって「わたしたちを悪からお救いください」と御父に願うのです。
(前掲書)
しばらく、沈黙のうちに祈りましょう。
(沈黙)
わたしたちが、御父からの愛を受けて、与えられた場で生きることができますようにと願って歌いましょう。
『平和を祈ろう』 No.52「主に愛されて」①、③
9月の第一日曜日である明日は、「被造物を大切にする世界祈願日」です。教皇様はこの祈願日が、環境保護のための助けを神に願い、「わたしたちが生きているこの世界に対して犯してきた罪への神のゆるしを願う機会になる」、と指摘しておられます。わたしたちが便利さや快適さを求めることによって、自然環境、動物たちを傷つけていることを思い、ゆるしを願いましょう。神様が与えてくださった被造物を尊び、生活していくことができますようにと願いながら、主が教えてくださった「主の祈り」を唱えましょう。
天におられる・・・
祈りましょう。
正義と平和の源である神よ、あなたはわたしたちを愛し、悪と誘惑から守ってくださいます。世界の人びとを悪の力から解放し、あなたが与えてくださるまことの自由を味わわせてください。社会の中で、悪に苦しんでいる兄弟姉妹たちのために、わたしたちも祈りをささげ、何らかの形で助けていくことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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