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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2017年11月 4日


 秋明菊


今年は「主の祈り」をテーマとして、祈ってまいりました。主の祈りは、福音全体、そしてイエスの生涯、生き方のすべてをまとめていると言える祈りです。今月はその最終回として、ごいっしょに祈ってまいりましょう。わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを父である神の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

ここに集まったわたしたちが、この祈りの時間をよく過ごすことができますように主の恵みを求めて、歌いましょう。

『典礼聖歌』 No.388 「ガリラヤの風かおる丘で」① ③

「ガラテヤの信徒への手紙」4.4~7 を聞きましょう。

時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者をあがない出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

主の祈りは、イエスが弟子たちに教えた唯一の祈りとして、約2000年たった今も、信じる人たちによって祈りがささげられています。その特徴は、「父よ」という叫びで始まることです。旧約聖書の時代は、全能永遠である神を「父」と呼ぶことは考えられないことでした。しかし御子イエスの誕生、十字架上の奉献によって、わたしたちも御父の愛された子どもとしていただきました。そして、今、聞いたパウロのことばのように、御子とともに御父のみ国の豊かさを受け継ぐ者とされたのです。その豊かさは、わたしたちの頭では想像さえできないような、すばらしいものでしょう。パウロは、ローマの信徒たちに次のように書いています。

「ローマの信徒への手紙」8.18~19、23~24a、28~30

現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体のあがなわれることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

父である神様がわたしたちのために用意してくださっている豊かな恵みを思い、しばらく沈黙のうちに祈りましょう。

(沈黙)

 光射す


「神の子」として愛されていること、いただいた信仰の恵みに感謝して祈りましょう
   師イエス、人となられたみことばであるあなたを礼拝します。
   いのちを与える真理を人びとに教えるため、
   あなたは御父から遣わされました。
   あなたは不滅の真理、唯一の師、
   あなただけが永遠のいのちのことばをもっておられます。
   わたしたちのうちに理性の光と信仰の光をともし、
   栄光の光に招いてくださることを感謝します。
   わたしたちは知性を尽くしてあなたを信じ、教会の教えに従います。
   師イエス、あなたの上知の偉大さをわたしたちに示し、御父を知らせ、
   あなたのまことの弟子にしてください。
   天の国で永遠にあなたを仰ぎ見ることができるように、
   わたしたちの信仰を強めてください。

   道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。

「主の祈り」のもう一つの特徴は、御父への限りない信頼です。教皇フランシスコは、今年の6月7日の一般謁見において、次のようにおっしゃっています。

「主の祈り」において、勇気をもって神に呼びかける「父よ」ということばに、キリスト教の祈りの神秘全体が集約されています。「父よ」と呼びかけることより、わたしたちはむしろ、子どもが自分の父親に向かうように、神にもっと親しみを感じます。自分が神によって愛され、神に大切にされていることが分かるのです。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは決して独りではありません。わたしたちは互いに遠く離れたり、敵意を抱いたりすることがあります。「神はいない」と宣言することさえあります。しかし、イエス・キリストの福音が明らかにしているように、神はわたしたちなしでいることはできません。神は、「人間と無関係でおられる」ことは決してありません。神はわたしたちなしではいられません。そして、これこそが大いなる神秘です。神は、人間と無関係でおられることは決してありません。それは偉大な神秘であり、それこそがわたしたちの「希望の源」です。この源は、「主の祈り」のそれぞれの祈願の中に込められています。助けを必要としているときには、自分だけであきらめてしまったり、自分の中に閉じこもったりするのではなく、御父に向かい、御父を信頼して願い求めるよう、イエスは教えています。食料、健康、仕事といった明白なものから、ゆるしや誘惑に打ち勝つための支えに至るわたしたちのニーズは、自分自身の孤独を反映しているのではありません。そうではなく、愛のうちにわたしたちをつねに見つめ、わたしたちを決して見捨てない御父がおられるのです。
ここで皆さんに提案があります。各自が多くの問題やニーズを抱えているかと思います。その問題やニーズについて、沈黙のうちにしばし考えましょう。また、わたしたちなしではいられない御父、今もわたしたちを見つめておられる御父について考えましょう。

(沈黙)

わたしたち一人ひとりが、置かれた場所で、神である御父に信頼して生きることができますようにと願って、「主の祈り」を唱えましょう。
  天におられる・・・

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。

『典礼聖歌』No.391 「ごらんよ空の鳥」① ②

祈りましょう。
父なる神よ、あなたは御子イエスをとおして、「主の祈り」を教え、わたしたちに信頼することの大切さを教えてくださいました。あなたの優しい計らいを信じるわたしたちが、日々の生活の中で、あなたの愛を証しすることができますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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