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日本26聖人殉教者
第1朗読 ガラテヤの信徒への手紙 2章19~20節
福音朗読 マタイによる福音書 28章16~20節
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第1朗読 ガラテヤの信徒への手紙 2章19~20節
わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。
わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
マタイによる福音書 28章16~20節
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
そして、イエスに会い、ひれ伏した。
しかし、疑う者もいた。
イエスは、近寄って来て言われた。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
1549年、聖フランシスコ・ザビエルが来日してから、キリスト教は大名や武士の間に広まっていった。豊臣秀吉も最初はキリスト教に好意的であり、宣教師を保護したが、九州征伐のときに一部の宣教師を国外に追放するという命令を出し、教会を破壊するなど公の宣教を禁止した。しかし秀吉は貿易の発展には前向きであり、1593年にフランシスコ会士ペトロ・バプチスタと通商条約を結び、京都での宣教を許可した。信徒は増し、30万人を超えたといわれている。
1596年に四国の海岸でメキシコからフィリピンに行くスペインの船が座礁したとき、積み荷を秀吉が没収するという「サン・フェリペ号事件」が起こった。そのためフランシスコ会が、秀吉の行為を条約違反だとしてスペイン船側の代弁をしたために彼は憤慨し、京都、大阪周辺のフランシスコ会士、イエズス会士、キリスト信徒ら24名を捕え、死刑を命じた。その中には、幼い子どもの信徒3人もいた。
彼らは、京都、堺、大阪市内を引き回されたのち、長崎までの道のりを歩かされた。その間、彼らの世話をした2人の信徒も自ら一行に加わった。長崎の西坂に26の十字架が立てられ、はりつけになった彼らは、最期までともに祈り、聖歌を歌いながら殉教を遂げた。彼らの死は日本の教会の初穂となり、この地はキリシタンの巡礼地となった。長崎26聖人記念館には遺品の一部が安置されている。
1862年6月8日に聖人の列に加えられた。1997年2月5日は日本26聖人殉教400年祭にあたり、記念式典が催された。
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