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教会カレンダー

日本の信徒発見の聖母

第1朗読 イザヤ書 9章1~6節

または エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12節

福音朗読 ヨハネによる福音書 19章25~27節

信徒の発見のマリア
信徒発見のマリア像

1865年3月17日は、日本カトリック教会にとって特別な日、世界にとっても驚くべき歴史的な日です。

日本のキリスト教の歴史をたどってみると、200年以上にもわたる長い迫害の時代をすごしています。徳川幕府の鎖国政策がとかれ、厳しいキリスト教への迫害が少し穏やかになったときのことです。

1865年の今日、10数名の男女が、建てられてまもない長崎の大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です。」と、キリスト教の信仰をもっていることを告白しました。この人々はキリスト教への厳しい弾圧を、不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫です。

1854年、アメリカのペリーが日本と条約を結び、続いてオランダ、フランスも日本と条約を取り交わしました。そこで、ジラル神父は、フランス領事について江戸に入り、1862年横浜に教会を建てることができました。その結果を見て、一年後にフェレ神父が長崎に行き、南山手に26聖人に捧げらた「フランス寺」大浦天主堂の建築をはじめました。この天主堂の完成を見たのは、プチジャン神父でした。

プチジャン神父はジラル神父にあてた手紙で浦上の最初の信徒との出会いについてつづっています。

心からお喜びください。私たちは昔のキリシタンの子孫がたくさんいるすぐ近くにいたのです。彼らは、聖い信仰に関する事柄をよく記憶にとどめているように思われます。

……きのう12時半ごろ、男女子どもを合わせた12名ないし15名の一団が、……天主堂の門に立っていました。天主堂の門は閉まっていましたので、私は急いで開けに行きましたが、私が聖櫃の方に進むにつれて、しだいにこの参観者たちも私について来ました。
……私は、……ご聖体のみ前にひざまずいて……祈りました。

私がほんの少しだけ祈ったあとでしたが、……40歳ないし50歳くらいの女性が私のすぐそばに来て、胸に手をあてて申しました。

『ここにおります私どもは、みなあなた様と同じ心でございます。』……

『私たちは、みんな浦上の者でございます。浦上では、ほとんどぜんぶの者が、私たちと同じ心をもっております。』
それから、この同じ人はすぐ私に聞きました。
『サンタ・マリア様のご像はどこ?』……
私はあなたがフランスから私たちのために持参してくださいました聖母のご像がおいてある祭壇に、彼らを案内しました。……
『私たちは、御主イエスさまのお祝いを霜月(旧暦)の25日にいたします。この日の真夜中ごろ、御主は馬小屋に生まれ、貧困と苦難のうちに成長されましたが、33歳のとき、私たちの魂の救いのために、十字架上で御死去なさったと聞いております。ただいまは、悲しみの季節です』そして『あなたがたにもこの祝日がありますか』と尋ねました。

『はい、私たちにもあります。今日は悲しみの節の17日目です』と答えました。
彼らはこの悲しみの節ということばで、四旬節のことをいいたいのだということが分かりました。……<
彼らは十字架を愛し、祈りを唱えております。」と。
(女子パウロ会発行 結城了悟著:「日本とバチカン」参照)

「サンタ・マリア様のご像はどこ?」と尋ねられたときのプチジャン神父の驚きはどんなであったことでしょうか。キリスト信徒発見という、すばらしい歴史の瞬間をつくった言葉でした。

教皇ヨハネパウロ2世
教皇ヨハネパウロ2世

この出来事を機会に時の教皇ピオ9世は、1868年、日本の26聖人を聖人の位にあげる列聖を行い、全教会に日本の教会のことを考え、祈るように招いたのでした。

これらのことを思い起こしながら、自分自身が大切にしている霊的な価値、人生の目的について、今日考え、祈るように招かれているのではないでしょうか。

教皇ヨハネ・パウロ2世が日本を訪問されたとき、教皇の別れの挨拶は自然に祈りになり、「私の祈りは、神の恵みが日本を導く人々の上に、また日本のみなさんとともにゆたかにありますようにと願います。」と結ばれました。

祈り

いつくしみ深い神よ、
  あなたの恵みに支えられて、
  日本のキリシタンはきびしい迫害にもくじけず、
  代々にわたって信仰を守り抜きました。
  この日、その末裔(まつえい)が長崎で
  サンタ・マリアの導きによって発見されたことを
  喜び祝う私たちも、聖母の祈りに守られて試練にたえ、
  力強く信仰の道を歩むことができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 9章1~6節

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。

彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように
折ってくださった。

地を踏み鳴らした兵士の靴
血にまみれた軍服はことごとく
火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。

ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

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または エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12節

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。
神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。

それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。

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福音朗読 ヨハネによる福音書 19章25~27節

イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。

それから弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

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