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聖人カレンダー

6月22日 聖パウリノ(ノラの)司教

354年ごろ-431年

 パウリノは、フランス、ボルドーの裕福な家庭に生まれた。父親はイタリア、スペインに土地を持つ、ガリア地方長官だった。詩人のアウソニウス(310-393年)から教育を受け、後にパウリノは法律家となった。その後ヨーロッパを旅し、スペイン人のテラシア(Therasia)と結婚した。2人は、数年間裕福な生活を過ごし、洗礼を受け、キリスト信者になった。

 長い間子どもに恵まれず、やっと生まれた男の子も、生後1週間で亡くなった。彼らは、質素な生活をし、財産のほとんどを貧しい人や教会に寄付した。

 パウリノの模範的で愛徳に満ちた生活は評判となり、彼は当時助祭でなかったにもかかわらず、バルセロナの司教から司祭に叙階された。

 フランスの土地を売ってナポリの近くにあるノラに移った彼は、水路を作り、フォンディに教会を建てた。また自分の住む家の一階を巡礼者や貧しい人々のために提供し、彼自身は二階で友人たちと半観想的な生活をし、妻のテラシアがこの小さな共同体の雑務を行った。彼の友人には、アンブロジオ(340年ごろ-397年)、ヒッポのアウグスティヌ(354-430年)、ヒエロニムス(340-420年)がいた。迫害時に鞭打ちを受け、その後は奇跡の業を行ったノラのフェリックス(311年ごろ死去)に信心があり、彼の遺体はパウリノの家の近くに埋葬された。

 パウリノは409年に司教に選ばれたが、具体的にどのように司牧していったかは、記録に残っていない。

 彼の最後も、貧しい人々にささげられたものだった。431年6月22日、ミサを2人の司教とささげた後、貧しい人に最後の施しとして銀50枚を渡し、その日の晩の祈りのときに息を引き取った。

 彼の遺骨はローマに移され、1909年、ピオ5世のときノラに戻された。


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