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聖人カレンダー

11月26日 福者ヤコブ・アルベリオーネ司祭

1884年-1971年

 ヤコブ・アルべリオーネは、1884年4月4日、北イタリアのクネオ県、サン・ロレンツォ・ディ・フォッサーノの貧しい農家に生まれた。6歳のとき、小学校の先生から将来の夢をたずねられ、「ぼくは司祭になります」と答えた彼は、司祭になる道を目指して、1896年にブラの小神学校に入学した。しかし、悪い仲間が回した本のことがきっかけとなって、1900年に中退した。その後、その年の10月アルバの大神学校に入学した。

 19世紀の終わり、教皇レオ13世は「新しい世紀のために祈るように」と信徒たちに呼びかけた。1900年12月31日から1901年1月1日にかけての夜、神学生であったアルベリオーネは、アルバにある司教座聖堂で祈っていた。顕示された聖体から特別な光を受け、「みな、わたしのもとに来なさい」というイエスの招きと、新世紀の人びとのために何事かを果たさなければならないという義務を感じた。

 このインスピレーションの後、1907年に教区司祭になった彼は、当時教会に反対する人びとが出版によって自分たちの考えを広めていたことに注目し、メディアによって福音宣教する「聖パウロ修道会」を1914年に創立した。

 1915年にはテレザ・メルロの協力のもとに、「聖パウロ修道会」と同じ使命を持つ「聖パウロ女子修道会」、また1923年、祈りに献身し、司祭と聖体への奉仕につとめる「師イエズス修道女会」を創立した。その他に2つの女子修道会、4つの在俗会、協力者会を組織し、この10の会を「パウロ家族」と呼んでいる。パウロ家族は、道、真理、いのちである師イエスを人びとに告げ知らせることを使命としている。

 当時メディアによる宣教は、人びとから理解されなかった。しかし、精神的、経済的困難に直面しながらも、アルべリオーネ神父は祈りのうちに神と親しく対話し、神のみ旨だと分かれば、恐れることなく実行する勇気を持っていた。1923年、病に伏した彼に師イエスがあらわれ、「恐れることはない。わたしはあなたがたと共にいる。ここから、照らそう。悔い改めの心を持ちなさい」と言ったことばは、生涯、彼を力づけた。このことばは全世界のパウロ家族の聖堂に掲げられている。

 彼は、1962年から1965年に行われた第2バチカン公会議にオブザーバーとして出席した。「広報機関に関する教令」が発布され、メディアを宣教のために用いることを奨励したこの教令は、アルベリオーネ神父とパウロ家族の会員たちに大きな慰めを与えた。

 1971年に病状が悪化し、その年の11月26日、87歳で帰天した。

 2003年4月27日、教皇ヨハネ・パウロ2世によりバチカンの聖ペトロ広場で列福され、福者にあげられた。

 パウロ家族のメンバーは、彼の後継者として、世界で教会に奉仕している。



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