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第40回 教会の名と像
第9項 「聖なる普遍の教会を信じます」
「カトリック」という意味は、「普遍的」「おおやけ(公)」ということを意味しています。わたしたちは、カトリック教会の特徴を、よく「一」「聖」「公」「使徒継承」という言葉で表現しますが、これは、父と子と聖霊という三位一体への神への信仰と切り離すことはできません。
第1節 神の計画における教会
1 教会の名と像
わたしたちは、よく「教会に行く」と言ったり、「あそこの教会はすばらしい」と言ったりしますが、「教会」という言葉は、どこからきたことばなのでしょうか。「教会」という言葉は、ギリシア語の「エクレシア」を日本語に訳したものです。この「エクレシア」という言葉は、「人々の集い」を意味しています。
旧約聖書のギリシア語訳では、この言葉は、神に選ばれたイスラエルの民が、シナイ山で神と契約を交わしましたが、シナイでの神のみ前における集会を指す言葉として使われています。キリストを信じた最初の弟子たちは、自分たちこそ、この集会の継承者であるとの自覚をもって、この「エクレシア」という言葉を、すぐに自分たちの集会に使いはじめました。キリストを信じる人々は自分たちが、ユダヤ教における神の救いの約束を成就したキリストにおける新しい神の民であると自覚していたということです。
この「エクレシア」から、「教会」という言葉を指す英語もドイツ語もできています。キリスト教用語としての「教会」は、ミサなどの典礼のために集まる集会も指しますし、地域共同体も指したり、キリスト者の普遍的な集いの意味で使うこともある幅広い言葉です。
◆教会のさまざまな象徴
イエス・キリストを中心とした神の民、その神の民の中で、キリストは「頭」、民は「体」として「教会」という言葉で表していますが、その他さまざまな像や表象で、教会を表現しようとしてきました。「教会」が意味する言葉はそれほど、深い意味があるのです。
以下に教会がたとえられている、いくつかの象徴を挙げておきましょう。
§ 教会は羊のさく
ヨハネ福音書の10章は「羊飼いのたとえ話」が書かれていますが、ここで、イエスは「わたしは羊の通る門である」とおっしゃっています。キリストはその唯一の入り口であり、牧者なのです。私たちはその囲いの中に入った羊の群れです。
§ 教会は耕作地、神の畑
聖パウロは、コリントにいる信徒に手紙を出し「あなたがたは、神が耕してくださる畑です」と言いました。畑である私たちの上に、種を蒔いたり、水をやったり、肥料をほどこしたりしたのは、神父様であったり、友人であったり、お世話になったりしている信徒の方々かもしれませんが、耕してくださったのは神様なのです。
§ 教会は神がお建てになった建築
これも聖パウロが同じ聖書の箇所で、「あなたがたは神が築く家です」と言っています。イエス・キリストはその土台です。キリストご自身が、詩編の言葉を引用して、ご自分を「隅の親石」とおっしゃっています。マタイ福音書21章42節をご覧ください。
この神がお建てになった建物は、また、親しみをこめて、いろいろな名前で呼ばれています。たとえば、神の家族が住む神の家、聖なる神殿、霊における神の住まい、人々のもとにおける神の天幕とも呼ばれています。
旧約聖書では、神と神の民との関係が「花婿と花嫁」の関係にたとえられていますが、新約では、教会が「キリストの花嫁」であると言われています。教会はまた、「母なる教会」ともいわれます。私たちを養い、育てる母だからです。典礼において教会は、「聖なる都」「新しいエルサレム」「天のエルサレム」と呼ばれます。
聖人や教父、神学者たちは、もっともっと多くの言葉で教会を表現しています。機会をみつけて、ぜひ、ご自分なら教会を何と表現しようかと考えてみてください。