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第42回 神の民である教会


第2節 神の民、キリストのからだ、聖霊の神殿としての教会

「わたしたちは神の民、その牧場の群れ」とミサで時々歌います。この「神の民」という一言をとってみても、深い意味があります。今日はそれを見てみましょう。


1 神の民である教会

神は、人間を救おうと計画されましたが、その計画は、私たち人間を一人ひとり何の関係もないバラバラに孤立した人間として救おうと計画されたわけではありません。神の救いのご計画は、神を神として認める「民」、神に忠実である「民」として救おうとされたのです。そのため、神はイスラエルの民を選び、契約を結び、彼らをご自分の民となさいました。これは、キリストによる新しい契約を準備するものであり、新しい契約を表象するものです。

キリストは、ご自分の血によって結ばれる新しい契約を制定し、彼を信じるすべての人をキリストによって結ばれた新しい神の民とされました。つまり、キリストに結ばれ、父と子と聖霊のいのちの交わりに生かされている神の民となったのです。この「神の民」ということは、教会の本質を表すものです。


神の民の特徴

この神の民は、歴史上のあらゆる宗教的、民族的、政治的、文化的な団体とははっきり異なる特徴を備えています。以下にその特徴を挙げてみましょう。


「神の」民である:

神は、特定のある民族の神としてその民族だけに属する神であることはありません。しかし、神はひとつの民を形作られ、神の民、ご自分の民とされました。


この民の一員となるためには:

キリストへの信仰と洗礼によって、一員となることができます。この民の頭は、イエス・キリストです。キリストとは、油を注がれたメシアという意味です。イエスが民の頭であれば、そのからだにも聖霊の油が流れています。その意味でこの民は「メシア的な民」とも言われています。この民の身分は、神の子としての品位と自由をもち、その心には聖霊がお住みになっておられます。この民が従う法律は、キリストが命じられた新しい掟・愛の掟「私が愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」です。この民の使命は、地の塩、世の光となり、全人類の一致と希望と救いのしるしとなることです。この民の目的は、神の国を目指すものです。


祭司的、預言者的、王的民

御父は、イエス・キリストに油を注がれ、「祭司、預言者、王」となさいました。 神の民は、全人類に神の民が広がっていくように、キリストのこの3つの職務に由来する使命と奉仕の責任を担うものとされました。


祭司として

洗礼を受けた人は、神の民の祭司としての召命にあずかるのです。大祭司であるキリストは、ご自分の民を、祭司として生きるように聖別されるのです。


預言者として

神の民は、キリストが果たされた預言者としての職務を受け継ぐように召されています。信仰をしっかりと保ち、その理解を深め、人々の間にあってキリストをあかしするとき、この職務を果たしているのです。


王として

神の民は、キリストの王としての職務にも参与するものとされました。キリストがご自分の死によって、人々を引き寄せ、すべての人のしもべとして奉仕するものとなられたように、神の民であるキリスト者も、人々に奉仕することによって、とくに、貧しい人、苦しむ人に奉仕することによって、この職務を生きることができるのです。

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