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第53回 罪のゆるし
「罪のゆるし」については、秘跡を取り扱うところで、特に、洗礼の秘跡、ゆるしの秘跡、聖体の秘跡において、詳しくみていきましょう。今回は、「罪のゆるし」について、基本的なことだけを簡単に、お話することにいたしましょう。
第10項 「罪のゆるしを信じます」
復活されたキリストは、弟子たちが集まっている部屋に来られ、次のようにおっしゃいました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる。だれの罪でも、あなたがたがゆるさなければ、ゆるされない」と。この言葉によって、イエスはご自分の罪をゆるす権能を使徒たちに授けられたのです。
1. 罪のゆるしのための唯一の洗礼
主イエス・キリストは、罪のゆるしを、信仰と洗礼とに結び付けられました。私たちは、イエス・キリストが神のひとり子でありながら、人となって私たちと同じ世界に生き、私たちの罪をあがなうために十字架に付けられ、死んで、復活された方だということを信じています。この信仰を受け入れるために、また、この信仰を生きるために、洗礼を受けるのです。
洗礼の秘跡は、罪のゆるしを得るための、いちばん大切な秘跡です。それは、洗礼によって私たちは、原罪とそれまで自分が犯したすべての罪(自罪)がゆるされ、イエス・キリストに結ばれ、そのいのちを生きるようになるからです。主が復活の後、昇天される前に、使徒たちに遺言のように残された言葉があります。「全世界に行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ15.15~16)と。
洗礼を受けたとしても、私たちの持つ人間の弱さからも解放されたわけではありません。残念なことに、そして悲しいことに、私たちは洗礼を受けた後でも、罪を犯す存在なのです。教会に委ねられている「罪をゆるす権能」によって、洗礼後の私たちの罪も「ゆるしの秘跡」を受けることによって、ゆるしを得ることができ、神と教会とに和解することができるのです。
2. かぎの権能
皆さんは、バチカン市国の国旗をご覧になったことがあるでしょうか。黄色と白の2色に分かており、その白い部分に、2本の鍵が交差して描かれています。この2本の鍵が、この項目の「かぎの権能」と深いかかわりがあるのです。
イエスがペトロにおっしゃった次の言葉が、マタイ福音書に書かれています。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16.19)。このペトロに委ねられた罪をゆるす権能が、「つなぎ、解く」という言葉と「鍵」によって表現されているのです。
キリストは、「罪のゆるしを得させる悔い改めが、……あらゆる国の人々にのべ伝えられる」(ルカ24.47)復活の後、使徒たちを派遣されました。使徒とその後継者、つまり、現代では教皇と司教、司祭は、世界の各地で洗礼によって罪のゆるしを与え、授けられた「かぎの権能」を用いて、人々に罪のゆるしを与えているのです。
どんな罪であろうとも、ゆるされない罪というものはありません。すべての人の救いをひたすら望まれる主です。罪人の死ではなく、その人が悔い改めて生きることを神は待ち望んでおられるのです。私たちが「ゆるしの秘跡」を受けるとき、秘跡を授ける人が司祭であっても、罪をゆるしてくださるのは、イエス・キリストです。主は、司祭をとおして、ゆるしを与えてくださるのです。
最後に、短い「要約」が付いています。ぜひ、ご一読ください。