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第59回 典礼の源泉であり目的である御父
第1部 秘跡による救いの営み
教会の誕生は、聖霊降臨の日とよく言われます。それは、聖霊を注がれた教会が、公に人々の前に姿を表したからです。こうして、「教会の時代」が始まるのですが、この最初から、現在に至るまで、キリストは、ずっと教会と共におられ、教会の中で、教会の秘跡を通して働いておられます。ですから、まず、第1章で、教会がキリストの過越の神秘の実りを、秘跡を通して分配していることについてお話いたしましょう。
第1章 教会の時代における過越の神秘
第1項 聖三位一体のわざである典礼
1. 典礼の源泉であり目的である御父
すべての神のみわざは「祝福」(賛美)という言葉で言い表すことができます。「祝福」とは、御父を源とする神の働きで、いのちを与えるものです。この神の祝福は、 ことばとたまものが一体となったものです。
聖書の初めから、神の救いのご計画を伝える聖書は、神の祝福で満ちています。天地創造の時から、人間を創造された時から、神はすべてを祝福なさっておられます。「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、この神の祝福を喜んで受け入れました。こうして、神の救いの歴史が、人間の歴史の中に入ってきたのです。
神の祝福は、イスラエルの民の歩みの中で、神が民を顧みられた救いの驚くべき出来事として、体験され、記憶されています。その中でも、最大のものは、モーセによって率いられエジプトの地を脱出し、約束の地に入ったことでしょう。この恵みに、イスラエルの民は、旧約聖書に収められている詩編などをもって、感謝と賛美の祈りを神にささげたのです。
新しい神の民である新約時代に生きる私たちは、教会の典礼の中で、神の祝福が全面的に明らかにされ、伝えられています。私たちの救いのために人となり、死んで復活されたみことばであるイエス・キリストにおいて、御父は私たちを祝福で満たしてくださり、最高のたまものである聖霊を注いでくださっているのです。ですから、キリスト教典礼には2つの面があることがおわかりになると思います。
キリストに結ばれた教会は、聖霊の導きに従い、礼拝と賛美と感謝をささげることによって、神に「ことばでは言い尽くせない贈り物」のゆえに祝福するのです。その一方、教会は、神の救いのご計画が完全に成就するまで、御父にたえず供え物をささげ、その上に、教会の上に、私たち一人ひとりの上に、聖霊を遣わしてくださるように懇願しているのです。