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第62回 教会の諸秘跡における過越の神秘 –(1)


第1項 教会の諸秘跡における過越の神秘


教会の典礼生活は、洗礼、堅信、聖体(エウカリスティア)、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚の7つの秘跡を中心に動いています。ここでは、教理の観点から、7つの秘跡に共通するものを見ていきたいと思います。


1. キリストの秘跡

教会の7つの秘跡は、イエス・キリストによって、制定されたものです。キリストは、ご自分のご生涯、つまりその生活と言葉をもって、これらの諸秘跡を前もって予告し、準備なさっていたのです。このキリストのご生涯の諸秘跡は、後に、教会の役務者をとおして、分け与えられます。諸秘跡は、「神の傑作」であるばかりでなく、教会である私たち1人ひとりを生かし続ける力であり、聖霊の働きです。


2. 教会の諸秘跡

教会は、神の神秘の忠実な管理者です。7つの秘跡は、二重の意味で、「教会による」「教会のための」秘跡と言うことができます。「教会による」ということは、秘跡は教会の中で働かれるキリストのわざなのだということを意味しています。「教会のための」ということは、これらの秘跡が教会をつくる秘跡だからです。

教会は、頭であるキリストに結ばれて、秘跡の中で「祭司的共同体」として行動します。 洗礼と堅信の秘跡によって、祭司的民とされた私たちは、典礼を行うにふさわしいものとなるのです。他方、ある信者は叙階の秘跡を受け、「奉仕的祭司職」を生きる者となり、洗礼によって祭司的な民とされた私たちに奉仕する役務を生きます。

叙階された奉仕者は、典礼行為を使徒たちと結びつけ、また、使徒たちを通して秘跡の源であるキリストに結びつける、秘跡的なきずなです。洗礼、堅信、叙階の3つの秘跡は、「霊のしるし」を与えます。このしるしは、消えることがありません。ですから、この秘跡は生涯の間に1度しか受けらないものです。このしるしは、聖霊によってキリストと教会の姿を刻むものですが、これによって、私たちは神の恵みと保護を受ける者となり、神を礼拝し、教会奉仕への召命が与えられるのです。

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