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第81回 教会のいのちの源泉、頂点であるエウカリスティア
第3項 エウカリスチアの秘跡
キリスト教の入信に関する秘跡は、3つあるということを、以前ご一緒に学びましたが、洗礼、堅信に続く、第3の秘跡が、今回から学ぶエウカリスチアの秘跡(聖体の秘跡)です。私たちは、洗礼を受けることによって新たに神の子として生まれ。堅信によって、キリストにいっそう似た者とされ、聖体によって、共同体と共に、キリストの奉献に参与するのです。
キリストは、最後の晩餐において、聖体の秘跡を制定なさいました。こうして、教会を通して私たちに、ご自分の愛の「しるし」、ご自分の死と復活の「しるし」として、聖体の秘跡を残されました。これは、聖体の秘跡によって生きる信者である私たち一人ひとりにとって、「いつくしみの秘跡」「一致のしるし」「愛のきずな」「過越のうたげ」です。
1 教会のいのちの源泉、頂点であるエウカリスティア(感謝の祭儀)
エウカリスティア(感謝の祭儀)について、第2バチカン公会議は、有名な言葉を残しています。その言葉とは、エウカリスティアは「キリスト教生活全体の泉であり頂点」だという言葉です。これは、『教会憲章』の中で言われたことです。さらに、同じ第2バチカン公会議の『司祭の役務と生活に関する教令』の中では、すべての秘跡も、司祭としてのすべてのどんな働きも、宣教司牧の仕事も、すべては聖体祭儀に秩序づけられている、と言われています。
聖体祭儀の中に教会の霊的な宝、富のすべて、つまり、私たちのために、ご自分のいのちをささげてくださり、生けるパンとなられたキリストご自身が存在しておられるのです。
エウカリスティアは、私たちの信仰の要約であり、頂点です。聖体祭儀は、神と神の民の一致を実現するものです。さらに、聖体祭儀は、キリストにおいて、世を聖なるものとする神の働きの頂点です。また、聖体祭儀は、私たちがキリストによって、聖霊において、御父にささげる礼拝行為の頂点でもあります。
この聖体祭儀によって、私たちが受けることになっている永遠のいのちを、それに先だって生きることになるのです。