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第85回 エウカリスチアの典礼祭儀

4 エウカリスチアの典礼祭儀

あらゆる時代のミサ
 

2世紀に殉教した聖ユスチノは、155年頃、キリストを信じていなかった皇帝アントニウス・ピウスに、自分たちの信仰を説明するために『第1弁証論』を書きましたが、その中に今日、私たちが行っているミサの要素がすべて述べられています。

感謝の祭儀(エウカリスチアの典礼)は、今日まで、その基本的な構造においては変わっていません。2つの部分に分けて展開されていますが、根本的には1つの流れの中で祝われる祭儀です。

第1の部分は、「ことばの典礼」と呼ばれるもので、ミサの朗読、説教、共同祈願です。第2の部分は、「感謝の典礼」と呼ばれるもので、パンとぶどう酒の奉納、聖別のための感謝の祈り、聖体拝領です。

「ことばの典礼」と「感謝の典礼」は、それぞれ、私たちのために準備された恵みの食卓で、1つの礼拝行為を形作っているものです。

ご復活の後、エマオ途上の2人の弟子たちに、主は聖書を説き明かしてくださり、食卓では、パンを裂いてくださいました。この、主のしてくださったことが、今日まで続いているのです。


式次第
 

では、これからミサの式次第にそって、簡単にご説明いたしましょう。

 

全員の集合––

私たちキリスト者は、感謝の祭儀のために、心をあわせ集まるのです。この祭儀の主宰者は、イエス・キリストご自身です。普通、私たちの目に見える姿でミサをささげる司教や司祭は、神の民の頭であるキリストの代理者として、司式するのです。

参加者全員は、それぞれ役に応じて、みことばの朗読をしたり、奉納をしたり、聖体奉仕をしたりしますが、全員は、アーメンと答えることによって、積極的に参加を表明するのです。

 

ことばの典礼––
主日の典礼では、3つの聖書朗読がなされます。第1は旧約聖書の朗読、第2は使徒たちの手紙、第3は福音の朗読です。

説教は、私たちに読まれた神のことばを受け入れ、生活に生かすように励ますものです。

その後、共同祈願が行われますが、これは執り成しの祈りで、聖パウロがテモテへ宛てた手紙の中で勧めていることです。

 

供えの奉納––
パンとぶどう酒を祭壇まで運びます。この時、多くの教会では、行列をして奉納します。

初代教会から、この奉納の時、パンとぶどう酒だけではなく、生活に困っている人々のために、募金したり、施し物を集めてささげていました。この習慣は、私たちを豊かにするために貧しくなられたキリストの模範に倣う、意味深い行為です。

 

奉献文(アナフォラ)––
感謝の祭儀の中心であり、頂点をなすもので、感謝と聖別の祈りです。

叙唱で、全教会は御父に、そのすべてのわざに感謝をささげます。そのとき、会衆は、天使、天井のすべての成人たちと共に、教会がささげる感謝に心をあわせ、賛美の歌を歌います。

聖霊の働きを求める祈り(エピクレシス)––
パンとぶどう酒がイエス・キリストの御からだと御血になり、エウカリスチアにあずかる人々が、1つの心、1つのからだとなるために、聖霊の働きを祈り求めます。

最後の晩餐のときに、イエス・キリストが制定されたその同じ言葉を、司祭が唱えることによって、パンとぶどう酒の形態のもとに、十字架上でご自分をいけにえとしてささげられたイエス・キリストのからだと血が、秘跡的に現存するのです。

 

記念(アナムネシス)––
教会は、私たちを御父と和解させてくださる御子をささげものとして、御父にささげながら、イエス・キリストの受難、復活、昇天の記念を行います。

 

取り次ぎの祈り––
感謝の祭儀が、生ける人、死せる人を含む天と地、全世界のすべての人々との交わりを保つものであることを、この祈りが示しています。

 

聖体拝領(コムニオ)––
洗礼を受けた信者は、キリストのからだと血をいただきます。この食べ物がエウカリスチアと呼ばれるものです。

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