home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第2編 キリスト教の神秘を祝う>第2部>第93回 内面的な悔い改め
カテキズムを読もう
第93回 内面的な悔い改め
4 内面的な悔い改め
洗礼を受けたキリスト者は、絶えず悔い改めと刷新に招かれているということについて、前回お話いたしました。この悔い改めは、単に、外面的に後悔しているような言葉では足りず、心からの回心と内面的な悔い改めが求められています。
内面的な悔い改めをするために、私たちはどうすればいいのでしょうか。キリスト教では、多くの場合、「回心」という言葉を使い、「改心」という言葉をあまり用いません。内面的な悔い改めを表す言葉が「回心」という言葉です。心からすべての面で神に方向付けるということです。ですから、生活全体の根本的な転向が求められています。心の底から神に立ち返り、罪を断ち、悪から遠ざかり、おかした悪い行為を忌み嫌うことです。これには、同時に神の憐れみを希望し、その恵みの助けに信頼して、生き方を変えようという決心が伴うものです。
この回心には、苦痛が伴うものです。それを、教父たちは、「魂の苦悩」「痛悔」と呼んでいます。この回心は、人間の力によるだけではできません。私たちの心は、神のことに対して、多くの場合鈍くなっています。神の恵みの働きかけがあってはじめて、私たちは回心することができるのです。
私たちが、どんなに神に背いたとしても、神はいつも待っていてくださり、もう一度、やり直すために恵みを注いでくださるのです。私たちは、神を知れば知るほど、その愛を知れば知るほど、神が嫌っておられる罪に陥ることがないように努め、神の愛に生きようとする心が強くなります。
私たちは、典礼において毎年、主の復活を祝い、聖霊降臨を記念しますが、復活されたイエス・キリストが、天の御父の右の座に就かれた後、ご自分の愛の霊である聖霊を送ってくださいました。この聖霊降臨は、あの時だけではなく、そして、洗礼を受けたときに聖霊を受けるだけではなく、今も私たち一人ひとりに悔い改めと回心の恵みを与えてくださる「慰め主」である聖霊が与えられているのです。