home>キリスト教入門>カテキズムを読もう>第2編 キリスト教の神秘を祝う>第2部>第95回 悔い改めと和解の秘跡

カテキズムを読もう

バックナンバー

第95回 悔い改めと和解の秘跡

 
6 悔い改めと和解の秘跡

罪とはどんなものでしょうか。それは、なによりも神が嫌われることを行うことです。別の表現をしますと、「神様に反抗する」ことです。そして、人間が罪を犯した結果、神様との交わりが断たれるのです。今、「断たれる」と言いましたが、正確に言うと、「自分から神との交わりを断つこと」なのです。さらに、私たちが罪を犯すとき、教会との交わりも損なうことになります。

私たちが、悔い改め、回心することによって、神はゆるしてくださり、神との交わりは復活し、それと同時に、教会との和解も成立します。

神だけが罪をおゆるしになる---
日常の回心と悔い改めの源泉は、エウカリスチアにあります。エウカリスチア(感謝の祭儀・ミサ)は、私たちを父なる神と和解させてくださったキリストの十字架上でのいけにえが現在化されるからです。

罪をおゆるしになることがおできになるのは、神だけです。神の子としてのイエスは、しばしば「あなたの罪はゆるされる」とおっしゃり、病人や罪人をゆるしておられます。

イエスは「人の子は、地上で罪をゆるす権威を持っている」(マルコ3.10)と言われましたが、この権能を12使徒に与え、イエスの名によって罪をゆるすように定められました。イエス・キリストは、ご自分が十字架上で命をささげてくださることによって、私たちに神とのゆるしと和解を、手に入れてくださいました。

イエスは、私たち神の民一人ひとりが、祈りと生活、行動のすべてを通して、ゆるしと和解の道具となるよう望まれました。特に、12使徒は、キリストから「和解のために奉仕する任務」をさずかり、キリストの代理者として、この権能を行使するために、派遣されたのです。

教会との和解---
イエスは公生活の間、罪に苦しんでいる多くの人をゆるされ、同時に、再び共同体に迎え入れられるようにしてくださいました。これによって、イエスの奇跡に立ち会った人々は、イエスが罪をゆるす権能を持ち、同時に、その効果をも示してくださったことを賛美しました。

キリストは、ペトロを頭とする12使徒たちにゆるしの権能をゆだねられたのですが、そのことは、イエスがペトロにおっしゃった言葉によく現れています。「わたしはあなたに天の国のかぎを授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16.19)。

この「つなぐ」「解く」という言葉は、教会共同体から退けられたり、迎え入れられることは、神との関係においても、退けられたり、迎え入れられたりすることを意味しています。 ですから、教会との和解は、神との和解と切り離すことができないものです。

前へ 

▲ページのトップへ