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第114回 罪に支配された世界での結婚


罪に支配された世界での結婚---

私たちが、毎日、新聞などで、いろいろな事件を目にしているように、男性と女性が結婚に至るまで、また結婚後においても、自分を取り巻く社会や、周囲にも、悪の力が働いていることを感じます。またあるときには、自分の内にもその悪を感じることさえあります。

男性と女性の間には、つねに、不和、支配欲、不忠実、しっと、憎悪などの危険にさらされています。悲しいことですが、このようなことは、いつの時代にも、どの国においても起こる問題です。これは、男性や女性の本性にあるのではなく、罪の結果として起こることなのです。

私たちが「原罪」と呼んでいる人祖の最初の罪の結果、アダムとエバの原初の交わり、関係を破壊してしまったことに由来しています。創造主の恵みとして与えられている、男女相互間のあこがれは、相互の責任のなすり合い、支配と欲望へと変わってしまったのです。神から与えられた男性と女性が力を合わせ、その協力によって生き、産み、育て、地を従わせるという召し出し・使命は、産みの苦しみと糧を得るための労苦を背負うものになりました。

このように、原罪の結果、創造の秩序は乱されたとはいえ、その秩序は存在し続けています。男女の罪による傷をいやすために、神の恵みの助けが必要ですが、神はその限りない慈しみを人間に注ぎ、その助けを拒まれることは、決してありませんでした。神のこの助けなしには、男性と女性は、神が創造によって定められた「初めから」の目的にそって、自分たちの関係を正しく築くことはできないのです。

 

旧約の律法のもとでの結婚---

憐れみ深い神は、罪人である人間をお見捨てになられませんでした。罪の結果としての罰も、産みの苦しみも労働の苦しさも、罪の害を抑制する薬ともなりました。さらに、原罪後の結婚も、他者に心を開いて、相互に助け合い、献身し合うことができるように、神の恵みによって助けられるようになりました。

結婚の一夫一婦制とその不解消性に関する道徳的意識は、旧約の律法の導きによって、次第に発展していきました。 モーセに神の律法が与えられるまでの太祖や王たちには、一夫多妻が認められていました。しかし、モーセの時代からは、一夫一婦制が守られましたが、モーセは離婚を認めざるをえませんでした。それは、男性の心のかたくなさ故に、男性のわがままな支配から女性を保護するためでした。

預言者たちは、イスラエルの民と神との間に交わされた契約を、2人だけの忠実な夫婦の愛にたとえています。こうして、民の良心を培い、結婚の一夫一婦制とその不解消性へのより深い理解へと導いていきました。特に、旧約聖書のルツ記、とトビト記は、夫婦の忠実さと愛情について、優れた見方を示している書です。ぜひこの機会にゆっくりとご覧ください。

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