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第143回 罪の定義
2 罪の定義
前回、イエスは罪から私たちを解放するためにこの世に来られたことをお話しましたが、今回は、では、「罪」とはいったい何を指しているのでしょうか、という定義についてお話いたしましょう。
トマス・アクイナスは、罪とは「永遠の法に背くことばや行い、あるいは望み」と定義しています。
「罪」について正しく把握するためには、神との関係を踏まえて考えなければ、正しい認識は得られません。聖書の創世記にあるように、人祖アダムとエバは、「神のように」なることを望み、神のお望みに不従順で応じました。神に反抗したのです。これを「原罪」と言うことは、以前お話いたしましたね。
アウグスチヌスは、罪は「神を無視するほどの自己愛」だと定義しています。ですから、罪は神に対する侮辱だと言えます。私たちが、罪を犯すたびに、神の愛から自分で遠ざかっていくのです。
「罪」は、こう考えていくと、キリストの従順とは正反対のものだということがわかります。キリストの受難は、神のあわれみが私たち人類の罪に打ち勝つためだったのです。
ですから、イエス・キリストの受けられたゲッセマネでの苦しみ、最愛の使徒の一人であるユダによる裏切り、逮捕され、不当な裁判によって死刑を宣告され、兵士たちによってあざけられ、人々の憎悪、嘲笑を浴び、十字架に付けられ、亡くなられたのは、すべて、私たちの犯した罪をゆるすためだったのです。この間、ユダだけではなく、イエスの後継者であるペトロはイエスを3度否認し、他の使徒たちや弟子たちは、逃げてしまいました。
イエスの受難には、さまざまな罪、暴力、悪が最高度に現れています。闇と世の支配者の時であるまさにこの時、キリストの犠牲は、私たちの罪のゆるしの尽きることなくわき出る泉となったのです。