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第145回 罪の重さ、大罪と小罪 –(1)
4 罪の重さ、大罪と小罪 –(1)
罪について考えるとき、普通、どの罪でも重大さにおいて同じものだとは考えません。そうです。罪には軽重があるのです。それを、大罪、小罪と表現しています。
では、大罪とは何かを見ていきましょう。
大罪とは、神の掟に対する重大な違反によって、私たちのうちにあるいのちの源である愛を破壊させる罪です。
小罪とは、愛を破壊するものではないのですが、愛に背いたり、愛を傷つける罪のことを指しています。
大罪を犯したということは、いのちの源を破壊してしまったのですから、神様の新たな働きかけと私たちの側の回心が必要です。この回心は、通常、「ゆるしの秘跡」のなかで行われ、これによって、再び愛のいのちがよみがえってくるのです。
具体的には、大罪とはどういう罪を指すのでしょうか。 トマス・アクイナスは『神学大全』の中で、次のように言っています。「神への愛に背く冒涜や偽証に類するもの、あるいは隣人愛に背く殺人や姦淫などがそうです」。
しかし、事柄が大罪であったとしても、3つの条件がそろっていなければ、大罪ではありません。その条件とは、
1. 重大な事柄であること。
2. はっきり意識していること。
3. 意図的に行われたこと。
重大な事柄というのは、マルコ福音書10章19節にイエスがおっしゃっています。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」。
大罪にも軽重があります。殺人は盗みよりも重いものですし、暴力でも他人に対する暴力よりも、肉親に対する暴力のほうが重い罪になります。
はっきり意識して、意図的に行うこととは、十分な知識と完全な同意が必要だということです。 行おうとしていることが罪であり、神の掟に反するものであるということを、あらかじめ知っていることが前提になります。また熟慮したあとで、本人が認識した上で行われたものであることも前提になります。