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第147回 罪の蔓延
5 罪の蔓延
私たちは、毎日、自分をふりかえってみたとき、どうして、こんなに弱いんだろうとか、どうして、こんなにいつも同じ過ちをしてしまうのだろう、などと考えたことはありませんか。
私たち人間は、何度も罪を犯すことによって、罪を犯しやすい人間となります。さらに、同じ罪を繰り返すことによって、悪徳を身につけます。
以前、「徳」について、「徳とは、善を行う堅固な習性である」ということをお話いたしましたね。「悪徳」とは、この逆です。ですから、悪い傾向に流されやすくなり、良心が曇り、具体的な判断を下すときに、誤った判断をすることになるのです。このような傾向を無視することによって、罪はますます繰り返されることになり、悪が勢いづいていきます。しかし、良心の根を取り除くことはできません。
悪徳は、罪源と呼ばれるもので、区分することもできます。罪源というのは、他の罪や、他の悪徳を生み出すものなので、このように呼ばれています。
罪源は7つあります。高慢、物欲、ねたみ、憤怒、貪食、色欲、怠惰です。
教会の教えの伝承によれば、「天に向かって叫ぶ罪」と言われるものもあります。
旧約聖書に出てくるものは、
「アベルの血」(創世記4.10参照)
「ソドムの人々の罪」(創世記18.20、19.13参照)
「エジプトで抑圧された民の叫び」(出エジプト3.7~10参照)
寄留者、寡婦、孤児たちの嘆き(出エジプト22.20~22参照)
雇われ人に対する不正(申命記24.14~15参照)などです。
罪は個人的な行為です。しかし、他人の罪に協力するときにも、他人が犯した罪の責任を負うことになります。
たとえば、
*他人の罪に直接に、意図的に加わるとき
*他人に罪を命令し、勧め、それを称賛したり、賛同するとき
*その義務があるのに、その罪を明かさなかったり、妨げなかったりするとき
*悪を行う者を保護するとき
などです。
このように、罪は人々を相互に共犯者とし、相互の間に、欲望や暴力や不正をはびこらせることになります。
罪は、神のいつくしみに反する、社会的状況や制度を生じさせます。「罪の構造」という言葉もありますが、これは、多くの個人的な罪を表すものであり、その結果も表しています。その意味で、自分たちが犯した罪を他の人も犯すように、互いに仕向け合っているのです。これは、類比的な意味で、「社会的罪」を構成するのです。
最後に「要約」が付けられています。ぜひ、お読みになってください。