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第176回 母であり養育者である教会 –(2)



第3項 母であり養育者である教会 –(2)


「母であり養育者である教会」の続きをお話しいたしましょう。

私たちは、キリスト者として生き、話し、笑い、歩き、勉強し、働き、祈り……つまり、私たちの全生活を、神様に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげています。

私たちは、キリストの体です。私たち一人ひとりは、そのキリストの体のほんの小さな部分にすぎません。その小さな部分である私たち一人ひとりが、ミサに参加し、キリストの御体をいただき、キリストとキリストの体である人々と1つになって、私たちの祈りや教えがキリストの恵みと1つになるのです。

こうして、私たちの行動は照らされ、私たちの倫理生活は培われていきます。

キリスト教的生活全体がエウカリスチアのいけにえに、その源泉をもち、同時にそれが頂点であるように、倫理生活の源泉、頂点は、エウカリスチアのいけにえなのです。

この意味で、倫理生活は一種の霊的礼拝と言えるものです。

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