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第183回 神の十戒 –(2)
今日も、「神の十戒」についてお話ししたいと思います。
わたしたちは、ともすると、イエス・キリストはわたしたちに新しい掟を与えてくださったのだから、旧約の古い律法、つまり十戒を破棄されたのだ、と誤解しがちですが、そうではありません。
イエスご自身が「わたしは律法を廃止するために来たのではない。完成させるために来たのだ」とおっしゃっています(マタイ5:17参照)。
イエス時代のファリサイ派の人々や律法学者は、律法の言葉をそのまま実行することに一生懸命でした。しかし、イエスは、神が与えてくださった十戒の真の意味、そこに込められている父なる神のみ心の思いをよくご存じでした。そして、十戒の言葉をとおして神の霊が働かれることも、イエスはよくご存じでした。
ですから、イエスに出会い、イエスを信じたわたしたちに、イエスはファリサイ派の人々や律法学者の人々よりも、神様との深い関係に生きて正しい人になることを望まれました。
マタイ福音書の中にある有名な山上の説教の中の5・21~48をご覧になると、「あなたがたも聞いているとおり、~と命じられている。しかし、わたしは言っておく」というフレーズを繰り返しながら、主イエスは、掟の中に含まれている意味を説明してくださっています。
さらに、イエスは「律法の中で、どの掟がもっとも重要でしょうか」と、一人の律法学者が質問したときに、イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これがもっとも重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタイ22・37~40)とお答えになりました。
十戒をご覧になると、二つの部分に分かれているように思えるかもしれませんが、実は唯一の掟なのだ、ということをイエスは教えてくださっているのです。そして、わたしたちにこの唯一の愛の掟に照らして考え、判断し、行動するようにイエスが願っておられるように思います。