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第187回 十戒は一体のもの
これまで、十戒は「十のおきて」とか「十のことば」と表現してきました。しかし、このように表現すると、いかにも、ばらばらの「おきて」が十ある、と捉えられがちです。しかし、実は十戒はそういうものではありません。
十戒は、ばらばらの「十のおきて」というものではなく、分離できない総体をなしているものなのです。ですから、各「ことば」はそれぞれ互いに、また全体に関連し合っており、互いに、前提となっているものと言えます。
神がモーセに十戒を授けたとき、2枚の石の板に十のことばを書き連ねられたのですが、その1枚目の石の板には、神へ人間がささげる愛が命じられているものが書かれていました。2枚目は、隣人に対する正義を教えられたものが書き記されていました。
この2枚の石板は、神への愛と、人間への愛と、分けて考えられるものではなく、相互に照らし合っているもので、有機的に一つとなっているものです。ということは、分かりやすく言えば、一つのおきてに背けば、他のすべてのおきてに背くことになるのです。
すべての人、ものを造られた創造主である神をたたえることなしに、他人を尊重することはできません。その逆も言えます。神がお造りくださったすべての人を愛することなしに、神様をあがめることはできないのです。
このように、十戒は、神との生活と人間の社会生活を一つに結び合わせてくれるものなのです。こうしてみると、十戒を新しい視点で見つめることができますね。