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第200回 わたしのほかに神があってはならない –(3)
◆ 占いとまじない
「占い」は、日本人の弱いところかもしれません。えっ、それも占いと言えるの? という人も皆さんの中にはいらっしゃるかもしれません。占いやまじないが、実は、「わたしのほかに神があってはならない」とおっしゃる神様のお望みに反することなのです。
占いには、どんなものがあるのでしょうか。 たとえば、星占い、占星術、手相占い、運勢判断、運命判断、心霊術、霊媒に頼ることなど、挙げてみればたくさんありますね。わたしたちが毎日読む新聞や雑誌などにも、「今日のあなたは、○○に気をつけてください」などと星占いが出ているページがあります。
わたしたちは、今日は元気に過ごしていますが、明日の命は分かりません。毎日、報道されるニュースを見ても、交通事故、病気など、いろいろなことが原因で亡くなられる方がいらっしゃいます。家族の一人一人が何事もなく、無事に暮らせればと皆さん願っておられます。
しかし、わたしたち人間には、一寸先のことも分かりません。キリストへの深い信頼があれば、わたしたち一人一人を愛してくださっている方が、わたしたちのためによく計らってくださらないはずがないと、神のみ摂理にゆだねることができます。
わたしたちの信仰がぐらついていたりすると、家族の誰かについて心配なことがあると、つい、あの占い師さんは「よく当たるよ」と言われたことを思い出して、その人のところに行って、占ってもらうということにもなりかねないのです。これは、わたしたちの不信仰のなせるわざ、神への信頼のなさ、と言ってもいいでしょう。
まじないや妖術などは、人間を支配しようとして、超自然的能力を得ようとするものです。そのため、降霊術によって、悪霊を呼び求めたり、することです。教会は、占いやまじないや降霊術をしないように、警告しています。神ではなく、このような力を借りて困難を乗り越えようとすることは、信仰を持つ者のすべきことではないのです。