homeキリスト教マメ知識>バビロン捕囚

キリスト教マメ知識

バックナンバー

バビロン捕囚

紀元前587年、新バビロニア王国のネブカドネツァル王が、南ユダ王国を滅亡させ、多くの住民を捕らえ、バビロンに強制的に移住させました。これは、新バビロニア王国がペルシアによって滅ぼされ、ペルシア王キュロスによって、ユダへの帰還と、エルサレム神殿の再建が許される紀元前539年までを、「バビロン捕囚」と言っています。

捕囚は、イスラエルの人びとの宗教生活の上で、重大な変化を及ぼしました。 「約束の地」を失ったこと、また、礼拝の中心であるエルサレムの神殿が壊滅され、その精神的よりどころを失ってしまったのです。

バビロニアという異教の地に置かれたユダヤ人は、自分たちのアイデンティティを保つために、会堂(シナゴーグ)を建て、そこでの礼拝と、安息日を守ること、神の民としてのしるしである割礼を受けることによって、ユダヤ人であるという民族的、宗教的アイデンティティを保ちました。

それだけではなく、神の約束によって、ダビデ王の子孫からいつの日か、メシアが来られると期待していました。しかし、南ユダ王国は滅び、ダビデ王家の血筋をひく王様はいなくなりました。

ここから、メシアへである王への期待が高まっていきました。

さらに、この民族的なかん難にあって、自分たちの民の歴史を振り返り、深めていった貴重なときでもあったのです。


▲ページのトップへ