キリスト教マメ知識
クリスマスツリー
欧米のキリスト信徒の多くの家では、クリスマスツリーを飾ります。そして、その形も、国によってずいぶん違いがあるようです。
日本でクリスマスツリーに一般的に使われるのは、もみの木。もみの木の他に、松、ヒイラギ、ヤドリギ、月桂樹、キヅタなどを使います。これに共通しているのは、どれも常緑樹だということです。
冬になっても枯れない常緑樹は、異教の慣習の中で、永遠のいのちのシンボルとして、キリスト教以前から、暗い夜の長い冬からいのちあふれる春になるまで、家の中に飾られてきました。
永遠のいのちを喜び祝うこの行事が、キリスト教に取り入れられたのです。といっても、今のように、木を丸ごと1本飾ったわけではありません。つるしておいた、つまり、つるせる程度の枝だったわけです。
キリスト教の時代に入ってからも、この習慣は受け継がれました。イザヤ書の「レバノンの栄光は、糸杉、もみ、つげの木と共に あなたのもとに来て、わたしの聖所を輝かせる。わたしはわたしの足を置く場所に栄光を与える。」(60.13)という言葉によって許されたとされています。
教皇 聖グレゴリオ1世は、604年に、カンタベリーの聖アウグスチティヌス司教にあてて、これらの木々の装飾を許可する書簡を送っています。
現代のクリスマスツリーの原型は、ドイツ、森の民“ゲルマン”です。
クリスマスツリーの起源で最も古い話は、8世紀の聖ボニファスの故事です。聖ボニファスは、ヘッセンでの宣教の最中、街に樫の巨木があるのを見つけました。樫の木には、雷・雨・農業の神であるトール神が宿るとされて、ちょうど一人の少年がその木に、生け贄(いけにえ)としてささげられようとしていました。
聖ボニファスは、樫の木を民衆の目前で切り倒し、代わりにもみの若木を新しい信仰のシンボルとして差し出しました。
また、16世紀の伝説に、厳しい冬の森の中、家路を急ぐきこりがふと夜空を見上げたとき、氷と雪をつけたもみの木々は、きらめく星々の光を浴びて、幻想的な美しさに輝いていました。それを家族に見せたくて持ち帰ったのが、ツリーのはじまりという話もあります。
この他にも、クリスマスツリーの起源には、いくつもの話があります。17世紀には、もみの木をクリスマスに飾った記録も残っているそうです。