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ミケランジェロのピエタ像

ミケランジェロのピエタ像

バチカンにある聖ペトロ大聖堂の右手にある最初の礼拝堂は、ピエタの礼拝堂です。
 もとは、十字架の礼拝堂と呼ばれていましたが、現在はミケランジェロの作った、有名なピエタ像にちなんで「ピエタの礼拝堂」と呼ばれるようになりました。

この作品は、若きミケランジェロが、最初のローマ滞在中に制作した傑作です。ローマ大使だったフランス人枢機卿 ジャン・ド・ヴェリエ・ド・ラ・グロレスの依頼をうけて作られたものです。1499年に完成しました。

この像は、カッラーラ産の大理石で作られ、楕円形の台座の上に、十字架から降ろされたキリストを抱く、母マリアの姿をあらわしています。

聖母の肩にかかっている皮帯には、ミケランジェロのはじめて作品にされた署名、“Angelus Bonarotus Florentinus faciebat(フィレンツエのアンジェロ・バナロトの作品)”と書かれています。

この署名にはとても面白いエピソードが残されています。
 ミケランジェロのピエタ像が展示されている場所に入り、多くの外国人がそれをたたえました。その中の一人が、「これはだれの作品ですか」とたずねると、1人の人が「我々のミラノのせむし男(クリストフォロ・ソラリ)です。」と答えました。それを聞いたミケランジェロがあ然となり、夜、ランプを持って像の所に行って、のみで自分の名を彫ったといわれています。

ミケランジェロの生涯

ミケランジェロは、1475年に生まれました。13歳でギルランダイオの工房に入り、15歳ですでに、ロレンツォ・イル・マニフィコの目にとまるほどでした。

ミケランジェロの代表作の一つに、フィレンツエのヴェッキオ宮殿の前にある巨大な大理石の像“ダビデ”があります。この裸の若者像は、当時のフィレンツエ市民にはあまり受け入れられなかったらしく、破廉恥(はれんち)な裸の像に投石が絶えなかったそうです。

また、ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂のフレスコ画の作者としても有名です。1508年にはじまったこの天井画の仕事を、全く1人で4年の歳月をかけて仕上げました。

同じシスティーナ礼拝堂の奥の壁の『最後の晩餐』に取り掛かったのは1534年で、晩年にさしかかっていました。しかし、その力強い筆は衰えることがありませんでした。

ミケランジェロは1564年89歳で亡くなっています。


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