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奴隷制度

旧約時代にも、新約時代にも奴隷制度がありました。

旧約時代のイスラエルにおいては、戦争に負けると捕虜にされ、奴隷として売られることもありました。また逆に、戦争に勝つと、相手方の人びとを奴隷としました。また、奴隷商人に売られることも、売ることもありました。
 創世記に書かれているヨセフの物語には、兄弟たちがヨセフを銀20枚で売ったことが書かれています(創世記 37.28 参照)。

旧約時代においても、新約聖書の時代であるローマ帝国の時代でも、労働力は奴隷に頼る社会でした。奴隷は財産の一つのように見なされていましたから、奴隷の扱いは厳しいものでした。しかし、他の周辺の国々の奴隷と比べると、イスラエルでの奴隷は、恵まれていたと言えるかもしれません。安息日は、奴隷といえどもきちんと守られ、仕事を休んでいました。

イスラエルでは律法によって、奴隷は物としてではなく、「人間の男女」として扱うように定められていました。
 それは、イスラエルの民がエジプトにいた時、奴隷状態に置かれ辛酸をなめていた時、主から救われ自由の身になったことを忘れないためでした。
 しかし、その奴隷がユダヤ人かそうではないかによって、立場はずいぶん違っていたようです。

ユダヤ人で奴隷になった人がいれば、親族は買い戻すように努力をしました。さらに、6年間働くと、7年目には自由の身となることができました。しかし、奴隷になる以前の生活より、奴隷のままがよいと考える人もいました。その時は、終身奴隷でいました。

マタイ福音書18章で、イエスは「仲間をゆるさない家来」のたとえ話をなさっていますが、その中に、主君が「自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように」と命じたとあります。この家来は「どうか待ってください」と懇願し、憐れに思った主君からゆるされます。
 このたとえはまだ続くのですが、このようなたとえ話をイエスがなさり、その話を聞く人びとにその意味がよくわかったということは、「自分も妻も子も売って」というようなことが、イエスの時代におこなわれていたということです。

パウロの書簡の一つに「フィレモン」という個人宛てに書かれた書簡があります。逃亡奴隷であるオネシモについて、主人であるフィレモンに取りなしているのですが、当時、逃亡奴隷には、厳しい罰があったようです。


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