homeキリスト教マメ知識>神殿(エルサレム)

キリスト教マメ知識

バックナンバー

神殿(エルサレム)

エルサレム神殿の丘に唯一残る壁“嘆きの壁”
エルサレム神殿の丘に唯一残る壁“嘆きの壁

神殿は、イスラエルの人びとの宗教的生活の中心をなすものでした。

犠牲のささげ物が、神殿で朝夕なされ、大切な祭りの日には、ユダヤ各地から巡礼をして大勢の人びとがエルサレムまでやってきました。

神殿で祈りをささげ、律法に決められていたささげ物のほか、いろいろな機会に神にささげ物をしていました。その他、献金や神殿税などもありました。

エルサレムの神殿は3度、建て直されています。

最初の神殿は、ソロモン王によって、紀元前958年に起工し、建築に7年半かかって完成しました。これは、歴史的に、第1神殿と呼ばれています。

その神殿の壮麗さについては、列王記上6章から7章に詳しく書かれています。

紀元前586年に新バビロニア王国のネブカドネツァル王の軍によって、南ユダ王国が滅亡したとき、ソロモンの建立したエルサレムの第1神殿は破壊されてしまいました。

第2神殿は、バビロ捕囚が終わり、ペルシアの王キュロスによって、ユダへの帰還とエルサレム神殿の再建が許され、再建されたものです。

この神殿は、紀元前515年、ゼルバベルの指揮のもとで再建されました。補囚から帰った人びとは、貧しく、自分たちの生活のために働きながらも、神殿建設に財力と労力を提供しました。しかし、この第2神殿は、規模としても、美しさとしても、ソロモンの建てた神殿とは比較にならないほどのものでした。

シリアのアンティオコス4世エピファネスは、ヘレニズム政策をとり、エルサレムの神殿を異教の神を祀る神殿にしてしまいました。

これに反発したユダ・マカバイの反乱により、ユダヤ人の手に戻り、再び、礼拝することができるようになりました。

ユダヤが独立したのも長く続かず、ローマの占領下に置かれ、その中で、ヘロデ大王が紀元前20年頃から、第2神殿を拡大するかたちで、壮麗な神殿に建て直しました。

イエスの時代、この神殿がエルサレムに輝いていましたが、イエスは、この神殿は崩壊されることを予告なさいました(マルコ 13.1-2)。

この第3神殿は、紀元70年、ローマ軍によって、徹底的に破壊されてしまいました。


▲ページのトップへ