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トレ・フォンターネ(Tre fontane)

カルロ・マーニョの門
カルロ・マーニョの門
スカラ・チェーリ聖堂
スカラ・チェーリ聖堂

トレ・フォンターネは、聖パウロの殉教の地で、エウルの東境界線となっているラウレンティーナ街道沿いにあります。


パウロは、ローマに行くことを深く望んでいました。そのため、ユダヤの王アグリッパに捕らえられたとき、パウロは、ローマ市民権をもっていることを主張し、ローマ皇帝への上訴を願いました。

ローマに送られたパウロは、最初の2年間、牢獄にいながらもわりと自由に宣教活動を続けることができました。

パウロは、ローマ市民権をもっていたため、ペトロのように、十字架刑には処せられず、洗礼者ヨハネのように斬首されました。

パウロが首をはねられた地は、アクエ・サルヴィエ(サルヴィアのぬかるみ)といわれ、ぬかるみが多くある谷間です。

処刑の日パウロは、刑吏に促されて、牢を出て、町の外のローマ南西の城門を出て4キロあまり行ったところに、こっそりと連れていかれ首をはねられたといわれています。

ローマ兵士によって斬首された聖パウロの首が三回転がり飛んで、首が触れた3つの地点から奇蹟的に泉が湧いたということから“トレ・フォンターネ(3つの泉)”と名付けられました。


聖パウロ斬首の柱
   聖パウロ斬首の柱
斬首された首が触れたとされる地
 斬首された首が
触れたとされる地
パウロの頭部の像
    パウロの頭部の像

ここには、聖ビンセンシオと聖アナスタジオ、スカラ・チェーリ、聖パウロの3つの聖堂が建てられ、パウロ殉教の場所として、巡礼者がたえず訪れるところとなりました。

聖パウロの聖堂へ入る手前に、聖パウロが処刑の日を待って閉じ込められていた地下牢スカラ・チェーリ(天国の階段)がありました。現在は、この地にスカラ・チェーリの聖堂が建てられています。この地下牢から処刑地へ導く約50メートルの道を、聖パウロはどのような気持ちで歩いたのでしょうか。

パウロの首が飛んだ3つの地点には、今は祭壇が置かれており、その祭壇にはパウロの頭部の像があります。そこに、聖パウロの聖堂が建てられています。

1868年以来、トレ・フォンターネの礼拝堂と、地下牢のいずれもトラピスト男子修道会によって管理されてます。

緑豊かな木々のあいだに小聖堂が建てられ、そこはパウロをしのぶためにふさわしい場所となっています。


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